三菱地所、丸の内390m超高層ビルの「意地」 4m差で大阪に抜かれた「日本一」奪回の理由

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三菱の「本丸」に立てる意味

   東京の丸の内は、明治維新から三菱グループが開発に力を入れてきた三菱の本丸だ。三菱の力で20世紀以降、丸の内には都市機能の基盤が築かれた。徐々にオフィスビル需要が高まると、皇居が近くにあることへの配慮や街の美観を重視する考えから、戦前の美観地区規制、戦後も1964年までの建築基準法の規制により「100尺(約31メートル)ルール」が守られてきた。この結果、丸の内では7~8階の高さのビルが整然と並ぶ街づくりが進められてきたのだ。

   しかし、高度経済成長期に入り、日本は超高層ビルの時代を迎える。第1号として1968年に霞が関ビル(東京都千代田区)が建ち、丸の内でも、旧東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)が30階建ての超高層ビルの建設計画を掲げた。「100尺ルール」維持を主張する三菱地所と、高層ビル計画を推進したい東京海上と、同じ三菱グループ内の『内輪もめ』に発展し、結果的に東京海上火災がやや抑えて25階建て(高さ99.7メートル)に計画を修正し、1974年に丸の内で初めての超高層ビルが誕生した。「丸の内を牛耳ってきた三菱地所の権威はこの時、大いに傷つけられた」(不動産関係者)とされる。

   そんな歴史をもつ三菱地所だからこそ、本拠地で日本一のビルを建てるという計画は、「同社の並々ならない意欲を象徴している」という見方が強いのだ。

   ただ、超高層ビル建設には現在、逆風ともいえる風が吹きつつある。内閣府が昨年末にまとめた、南海トラフ巨大地震による長周期地震動が超高層ビルに与える影響によると、揺れ幅は最大6メートルにも及ぶ可能性があるという。揺れの大きさに加え、高層ビルの上層階に人が取り残される恐れも指摘されている。「もう高さを競うだけの時代ではない」(不動産関係者)との声もある。

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