亡くなる際に持っていたのは、数百円の所持金と「へその緒」
毎日によると、親族が警察に行方不明者届を出したが、結局、14年8月1日に滋賀県内で遺体で見つかった。その日の朝、男性とみられる人物が琵琶湖大橋から湖へ飛び降りるのを目撃した人がいたという。亡くなる際に身に着けていたカバンには、数百円の所持金とともに自分と母親のへその緒、「一緒に焼いて欲しい」と書かれたメモが入っていた。
こうした後日談が報じられると、ツイッターには
「マジかよ悲しすぎるだろ...」
「やるせなさすぎる」
「心が痛い」
と悲しみの声が相次いで寄せられた。
男性は本当に自ら命を絶ったのか。2006年の事件を担当した弁護士に取材したところ、続けていた手紙のやりとりが途絶えており、消息は分からないと語った。また、京都府警や滋賀県警、草津市役所にも問い合わせたが、いずれも「こちらでは自殺かどうか把握していない」との回答だった。
ここまで大きな反響がネットに集まる理由は、06年4月の初公判の冒頭陳述で検察側が語ったエピソードにある。男性は心中を決意した同年1月31日、「最後の親孝行」として車椅子の母と京都市内を観光。そして、翌2月1日早朝、桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。ここで終わりやで」と母に告げた。母が「そうか、あかんか。一緒やで」と返すと、男性は「すまんな」と謝り、額を母の額にくっつけた。その後、「わしの子や。わしがやったる」という母の言葉を合図に男性は母の殺害に踏み切った、という。
この冒頭陳述のやり取りが「コピペ」されて、事件以後もSNSや掲示板サイト、まとめサイトなどに貼られ続けた結果、男性の身の上がネット上で強い印象を残すことになっていた。