女子サッカーの澤穂希が皇后杯決勝で優勝を決め、現役引退の置き土産とした。
今後、どんな活動をするのか、2016年の動向が注目される。
まだ余力があった決勝でのプレー
2015年12月27日、川崎市の等々力陸上競技場は異様な雰囲気に包まれていた。皇后杯全日本女子選手権の決勝INAC神戸レオネッサ-新潟レディース戦は2万人を超える観衆が詰めかけた。澤最後のプレーを見るためである。
後半33分、澤が頭でゴールを挙げた。試合はそのまま1-0で神戸レオネッサが勝ち、2大会ぶり5度目の優勝となった。
澤の最後のゴールが栄光をもたらした。まさにドラマを見ているような「お別れのゲーム」だった。
「(自分の)ゴールで、みんなが笑顔になれることができ、ほんとうに良かったと思います」
試合後の澤のコメントである。
驚いたのは海外からの祝福の言葉だった。「澤さま」「クィーン」といった言葉が多く、共通しているのは「お見事」の驚嘆で、改めて「世界の澤」を感じた。
12月に現役引退を明らかにしたばかり。来年のリオ五輪を目前にしての決断だけに、ファンは驚いた。既に結婚、現在37歳という年齢を意識したのだろうか。しかし、皇后杯のプレーを見る限り、余力はあると見えた。
「有頂天になったら、そこまで」
澤は日本女子サッカーの「中興の祖」であることに異を唱える者はだれもいない。澤がいなければここまで女子サッカーが注目を集めることはなかったといえる。
振り返ってみると、澤はあらゆる苦難を乗り越えてきた。
15歳で日本女子代表に選ばれた後、大学を中退して渡米。2チームでプレーしたが、リーグが休止したため帰国の憂き目に遭った。この間に米国人との結婚を諦めたという話がある。
脚光を浴びたのは11年のFIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会。決勝で米国を破り、澤は得点王とMVPに輝いた。この大会は日本でテレビ中継され、一気にフィーバーした。ちょうど今年のラグビーブームと同じだった。澤とチームは国民栄誉賞を受賞した。
この栄光までチームを渡り歩き、再度渡米したり、先の見えない競技生活を送っていた。また病気との闘いもあった。それでもサッカーを諦めることはなかった。
澤は多くの、なるほど、と思わせる言葉を残している。
「壁にぶつかるからこそ頑張れる」「行動すればやる気が湧いてくる」「失敗しても取り返せばいい」。この不屈の気持ちは「夢は逃げない」という前向きな姿勢から生まれる。
そして「有頂天になったら、そこまでの選手」と言った。アスリート以外の人たちにもズンとこたえるセリフである。
今後、澤の注目度は変わることはないだろう。サッカー指導、講演はひっきりなしだろう。ニュースキャスター、さらに政治家への誘いもあると思われる。彼女は新たなゴールに挑戦する-。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)