新潟3区で田中角栄に挑む
当時、週刊朝日に野坂さんの連載コラムがあった。担当のデスクが私で、野坂邸へ原稿を取りに行くこともしばしばあった。ある日、野坂さんから相談したいと電話がかかってきた。訪ねると、いつもと様子が違う。暘子夫人がお酒と手料理のつまみを持って応接間に現れた。
1983年10月、田中角栄元首相はロッキード事件で懲役4年の実刑判決を受け、11月に衆議院が解散された。いわゆる「田中判決解散」である。野坂さんの相談は、「新潟3区に出馬したら、票は取れるか」なのだが、飲みながらの話だから、そう、はっきり言ったわけではなかった。元首相の金城湯池、新潟3区魚沼地方を、私がくまなく取材した記者だと知っていたからだ。新潟3区の投票行動は地縁血縁でがんじがらめ、浮動票はほとんどないと言われていた。私は都会ほどでないにしても、浮動票はゼロではなく、野坂さんが泡沫候補に終わるとは思わなかった。