プロ野球界では、このオフシーズン、かつて大活躍した巨人の杉内俊哉、中日の岩瀬仁紀の2人が、ともに年俸の超大幅ダウンで球界に残った。勝負の世界の年俸更改の厳しい姿が如実になった。
4億5000万円ダウンの5000万円+出来高で残留を決めた(2015年12月10日)のが杉内。2億5000万円ダウンの5000万円の提示を飲んで来季に託した(12月7日)のが岩瀬である。
ともに大活躍の後の「故障」が響く
「シーズン中に戦列を離れ、大きな迷惑をかけてしまった。チームの(セ・リーグ)4連覇達成ができず、それに影響を及ぼしたことを悔やんでいる」
杉内は右股関節を故障、シーズン全体でわずか17試合の登板で6勝6敗だった。10月に手術をしたが、患部は投手にとって厳しいところだけに、今後の調整が注目される。
一方、岩瀬は今シーズンの登板はなし。右ヒジを痛めたのが原因だった。
「大幅ダウンは覚悟していた。もう痛みはない」
すでに遠投しているほど回復しているという。しかしながら1年間休んだのはかなり悪かったと推測できる。
杉内のダウン幅は最高記録である。これまでの記録は、小笠原道大が巨人時代に更改した3億6000万円。岩瀬は第3位の記録となる。
ちなみに協約で決められている「最大ダウン25%」は、年俸1億円未満の場合で、杉内や岩瀬には適用されない。この両投手は「再雇用」という形だ。
若手スター選手も厳しい「更改」
「超」のつく大幅ダウンは当然、大きなニュースとなるが、その影に隠れた、いわば「B級ニュース」にも関心は集まる。
ヤクルトの登録名「由規」投手。かつて大騒ぎされた佐藤由規のことだが、来シーズンは「育成選手」として残った。
2008年、ドラフト1位で仙台育英高から入団。150キロ台の快速球が注目され、大阪桐蔭高の中田翔(日本ハム)、成田高の唐川侑己(ロッテ)とともに「高校ビッグ3」と話題を呼んだ。覚えているファンも多いだろう。
契約金1億円+出来高、年俸1500万円だった。背番号「11」にちなんで(2007年)11月11日に入団発表するという特別待遇で、スター候補として期待は大きかった。同じ東北出身の大谷翔平(日本ハム)の如く注目された。
しかし、4シーズンで26勝を挙げたものの、12年から4年間は登板ゼロ。右肩痛が治らないのだ。来季の復活は苦難との戦いである。背番号は「121」に変わった。
人気者といえば、日本ハムの斎藤佑樹も大変な時期を迎える。同じチームの早大の後輩、有原航平がパ・リーグ新人王に選出されるなか、来シーズンは先輩として「勝負の年」となるだろう。
(スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)