元大蔵省超エリートのセーラー万年筆社長が解任 「業績はかばかしくないのに、講演会などに勤しむ」

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   老舗の筆記具メーカー、セーラー万年筆の経営をめぐって「内紛」が勃発した。

   同社は、中島義雄社長(73)が代表権のない取締役に退き、社長に比佐泰取締役(63)が就任したと、2015年12月12日に発表した。経営体制の刷新を図り、業績の一層の伸展を期するとしている。

  • 「天下り」社長を解任! (画像は、「セーラー万年筆」ホームページのスクリーンショット)
    「天下り」社長を解任! (画像は、「セーラー万年筆」ホームページのスクリーンショット)
  • 「天下り」社長を解任! (画像は、「セーラー万年筆」ホームページのスクリーンショット)

8期連続赤字、そのうち6年を中島前社長が舵取り

   新社長に就任した比佐泰氏は、1977年4月にセーラー万年筆に入社。95年2月に管理部経理担当課長に就いて以降、2010年に取締役管理部長、12年には取締役兼上級執行役員管理部長に就任するなど一貫して管理畑を歩いてきた、「生え抜き」社長だ。

   一方、取締役に降格した中島氏は旧大蔵省(現財務省)の出身。「花の昭和41年組」「実力派官僚」といわれ、内閣総理大臣秘書官や主計局次長などを歴任したが、金融機関からの過剰接待疑惑が取り沙汰され、1995年に辞職した。

   超エリートからの転落に不本意だったことは想像に難くないが、その後は京セラミタ(現京セラドキュメントソリューションズ)専務や船井電機副社長などを経て、2009年3月にセーラー万年筆の常務に就任。当時の碓井初秋社長の死去に伴い、09年12月から同社の社長を務めていた。

   今回の解職決議に、中島氏は「無効であることは明らか。速やかに法的措置を講じる」などと、セーラー万年筆の発表に真っ向から反発しており、法廷闘争に発展する可能性もありそうだ。

   セーラー万年筆は、1911年の創業。48年に業界初の「ボールペン」を発売。社名から、「万年筆」「筆記具」の印象が強いが、70年にロボットマシンの製造・販売を開始して以降は記録メディアや医療機器、食品容器などの生産ライン向けのロボット事業にも力を注いている。

   とはいえ、ここ数年の業績は低迷している。主力の筆記具が、パソコンやスマートフォンなどの普及に伴って市場の縮小に歯止めがかからないためだ。また商品でも、パイロットが開発した「消せるボールペン」にも押された。ロボット事業の不振や海外事業の出遅れを指摘する見方もある。

   そうした背景から、2007年以降8年間にわたり最終赤字を計上。直近の3期をみても、2012年12月期が約1億円、13年12月期が約3億円、14年12月期は約2億円の、いずれも赤字だった。このうちの6年を、中島氏がトップを務めてきたわけだ。

   2015年11月13日に発表した15年第3四半期(1~9月期)決算によると、最終利益は1800万円(前期は8000万円の赤字)と、どうにか黒字を確保。15年12月期は8000万円の黒字を予想しているが、目標達成は不透明な状況といえる。

   業績回復を図ることができなかった中島氏が、その経営責任を問われても仕方ないかもしれない。

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