タレントとしてお茶の間でもお馴染みだった作家の野坂昭如さんが85歳で亡くなり、ネット上でも追悼の声が相次いでいる。中でも、印象が強かったのは、「あのシーン」のようだ。
野坂昭如さんは、2003年に脳梗塞で倒れてからも、リハビリをしながら主に執筆活動を続けていたとされる。
故・大島渚監督と伝説の「殴り合い」
ところが、報道によると、15年12月9日夜に東京都杉並区内の自宅で意識がなくなっているのを妻の暘子さんが見つけ、病院に運ばれたものの心不全のために亡くなった。
野坂さんは、戦後の混乱期を知る「焼跡闇市派」として数々の小説を書き、1967年に「火垂るの墓」などで直木賞を受賞して注目を集めた。しかし、それだけに留まらず、作詞家や歌手、政治家とマルチに活躍し、過激な問題提起をすることもためらわなかった。
72年には、月刊誌編集長として載せた著名作家の作品でわいせつ文書販売罪に問われ、最高裁まで争ったが、罰金10万円を科せられた。また、83年に参院議員に当選するも、すぐに辞めて、田中角栄元首相を落とすと新潟で衆院選に立候補したこともあった。
しかし、野坂さんの死去を受けて、ネット上で最も話題なのは、90年に起こしたハプニングだ。
野坂さんは、映画監督の故・大島渚さんと親しかったが、大島さんの結婚30周年のパーティーで「乱闘」になった。
野坂さんは、大島さんの横で祝辞を読み上げた後、いきなり大島さんの左ほおに右ストレートのパンチを見舞ったのだ。メガネまで飛ばされた大島さんは、激怒して右手に持ったマイクで2度も野坂さんを殴り、制止が入らなければ危険な状態だった。