男子テニスの錦織圭選手(25)が、日に日に「メダル獲り」への意欲を強めているようだ。錦織選手は2016年のリオデジャネイロ五輪や2020年の東京五輪に向けたスポンサー契約を続々と獲得しており、ここ数日は「発表会ラッシュ」だ。
当然、発表会では五輪の目標が話題にのぼるが、じょじょに獲得に向けた表現がストレートに変化しており、2015年11月27日には「メダルを持って帰れるように頑張りたい」と述べた。日本にとってテニスでの五輪メダルは1920年が「最初で最後」。96年ぶりのメダル獲得への期待が高まりそうだ。
テニスのメダルは1920年に獲得したのが唯一
男子テニスの11月23日付けATP世界ランキングでは、錦織選手の順位は8位。日本人では最高位で、08年の北京(1回戦敗退)、12年のロンドン(5位入賞)に続いて3大会連続の五輪出場が確実視されている。日本が初めて五輪でメダルを獲得したのは1920年のアントワープ大会。男子テニスの熊谷一弥選手がシングルとダブルスで、柏尾誠一郎選手がダブルスでそれぞれ銀メダルを獲得している。日本のテニス選手がメダルを獲得したのは男子・女子含めてこれが唯一で、仮に錦織選手が獲得すれば96年ぶりの快挙だ。
当然、発表会の場でもメダル獲得が話題にのぼる。11月25日のP&Gの発表会では、錦織選手は、
「自分もメダルを取れる位置にあるし、取りたい気持ちも大きくある」
と意欲を示したものの、
「正直、何も期待しないでもらいたい」
と弱気な発言も漏れた。翌11月26日のLIXIL(リクシル)の発表会では、
「それまで(五輪まで)にレベルを上げて、メダルを狙える位置にいたい」
と意欲を見せた。
プレゼントは「金色」のモデルプレーン
翌11月27日に羽田空港で開かれた日本航空(JAL)の発表会では、一気にストレートな表現になった。
「夏に五輪が控えており、来年はまた大きな1年になると思う。五輪では是非、メダルを狙ってメダルを持って帰れるように頑張りたい」
2020年の東京五輪についても、
「日本で五輪が開かれるのはとても楽しみ。5年後という期間も長くあるので、しっかり自分が強くなって30歳の歳を迎えて、日本の五輪でもいい結果が出せるようにしたい」
と意気込んだ。
発表会では、植木義晴社長から錦織選手をペイントしたモデルプレーンがプレゼントされた。期待は「リオ五輪での活躍を祈って金色」に塗装されていた。
錦織選手は普段使用しているものと同じモデルのラケットを植木社長にプレゼントし、植木社長に対戦を申し入れた。植木社長は、
「ものすごい無茶ぶり。私がテニスをやったのは35年ぐらいまえのテニスブームで、みんなでやった覚えはある。少し鍛えてあげてもいいとは思いますけど?空振りしてもいいということであれば少しおつきあいいただいて...」
と笑顔で強がったが、格納庫に作られた「即席コート」でのラリーでは、もちろん植木社長が劣勢だった。