10月の週刊誌の取材に親族は「意識は普通」と
小津安二郎監督の愛人だったのではないかと言われ、結婚の噂まで流れたこともある。真相は分からないが、小津監督に傾倒していただけに、その死がショックだったのは間違いないようだ。
あるいは、1953年に原さんの映画のロケ中、兄が目の前で事故死したことがきっかけになったとも言われる。事故の後、度々引退をささやかれるようになったからだ。
さらに、強い照明を浴び続けたため、視力が低下したという健康説や、40歳を過ぎたら衰えた容姿を晒さない女優としての信念があったのではというものさえあった。
引退後は、ずっと独身のまま、神奈川県鎌倉市内の自宅に引きこもったような生活を続けた。時々、週刊誌やテレビでその姿を捉えられることがあったが、何をしているのかはナゾに包まれていた。
話題になったのは、1994年にかつて住んでいた東京都内の土地を売却し、12億円の高額所得があったのが報じられたときぐらいだ。
実は、週刊誌「女性自身」は2015年10月25日付記事で、原さんの自宅でおいが取材に応じ、病院に入院していると明かしていた。体調を崩したといい、「意識は、ええ、普通ですね......」と言葉を濁すように説明したという。この日までには、原さんはすでに亡くなっていたが、本人の意向で公表しないようにと言われていたというから、配慮したのかもしれない。
原さんは、「伝説の大女優」のままで亡くなった。