大相撲の北の湖理事長が2015年11月20日に急逝(62歳)した。横綱白鵬の「猫だまし」に苦言を呈して間もなくのことで、これが遺言になった。
「横綱としてやるべきではない」。九州場所で白鵬が栃煌山に勝った後、北の湖理事長はそう感想を語った。
横綱審議会も「奇襲は好ましくない」
この奇策については、賛否両論が渦巻いたが、場所が終盤に入ったこともあって、いったん下火になった。ところが13日目(20日)に北の湖が亡くなると、この苦言が再浮上した。
テレビでも理事長の死を悼むと同時に、そのコメントが付け加えられた。場所後の23日に開かれた横綱審議委員会でもそれが話題になった。
「横綱の奇襲は好ましくない」
審議委員長がそう語ったほどである。いわば北の湖の苦言が遺言となり、それを審議委員会が明確に世間に知らせたともいえよう。
北の湖は「相撲の申し子」といってよかった。「強い、と感じさせる力士は北の湖が一番」という声はベテラン相撲記者の中に多い。
21歳2ヶ月で横綱に昇進。まさにスピード出世だが、新入幕の場所では、大負けして十両陥落を味わっている。それを克服し、横綱としての成績は670勝を挙げ、勝率8割1分1厘という高さだった。
「江川、ピーマン、北の湖」
興味深いのは亡くなった後、メディアが伝える北の湖の実像である。一言でいえば「素晴らしい方」と報じた。現役時代のイメージと違うので驚いたファンも多かったことだろうと思う。
「憎らしいほどの強さ」
そう呼ばれた。怖い表情、負けた相手に手を差し伸べない――など、厳しさが強調された記憶がある。自ら「敵役」と認めていたようで、嫌いなものの例えにされた。
「江川、ピーマン、北の湖」
江川(卓)とは巨人の投手で、野球協約を破ってプロ入りしたとして世間からたたかれた。好き嫌いの多いピーマンと並べられたのだった。
同じ横綱の大鵬は「巨人、大鵬、卵焼き」といわれ、強さ、人気の象徴だった。それとは真逆の扱いだった。
亡くなって分かった「記憶の良さ」に注目した。ベテラン記者によると、自分の取り組みはすべて覚えていたそうである。これで思い出すのは通算868本塁打を放った王貞治。彼も打ったホームランはすべて説明できた。
大相撲関係者は今後の角界を心配する。それは北の湖理事長の政策が成功していたからで、後継理事長の重責は計り知れない。大麻問題、八百長問題、本場所中止などを乗り越え、人気復活を果たしたことは記憶に新しい。最多優勝の白鵬に苦言を伝えたのは、角界に対して「全力で取り組め」との遺言でもある。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)