米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古(同県名護市)移設をめぐる政府と沖縄県の対立は、ついに法廷闘争に突入した。政府が沖縄県知事を提訴するのは約20年ぶりだ。
政府の強硬姿勢に翁長雄志知事は「(第2次大戦後の米軍による)『銃剣とブルドーザー』による強制接収を思い起こさせる」などと猛反発。県と同様に激しい政府批判を展開しているのが社民党だが、見方によっては「ブーメラン」になりかねない。20年前に沖縄県に対して訴訟を起こし、最高裁まで争って勝訴したのが、前身の社会党で委員長を務めていた村山富市元首相だったからだ。
強制使用を大田昌秀知事(当時)が拒み、訴訟に
政府は2015年11月17日、翁長知事の埋め立て承認取り消しを知事に代わって撤回することを求める代執行訴訟を福岡高裁那覇支部に起こした。第1回口頭弁論は12月2日に開かれ、判決は数か月以内に出る見通しだ。1999年の地方自治法改正で、それまで「上下関係」だった政府と地方自治体の関係は「水平対等」に変化した。改正以降、政府が沖縄県を提訴するのは初めてだ。
20年前の訴訟は「ゾウの檻」として知られた米軍楚辺通信所(読谷村、06年返還)の用地強制使用手続きをめぐるもので、「スピード訴訟」として話題になった。強制使用を大田昌秀知事(当時)が拒んだため、裁判所が署名の執行を命じるように求めた訴訟だ。訴訟は1995年12月7日、福岡高裁那覇支部で村山首相(当時)を原告に起こされた。
96年3月25日には県側敗訴の高裁判決が出され、96年8月28日には最高裁が大田知事の上告を棄却し、県側の敗訴が確定。提訴から判決確定まで約9か月しかかからなかった。
当時は米兵3人が12歳の女子小学生を拉致した上で乱暴した、いわゆる「沖縄米兵少女暴行事件」の影響で県民の反米・反基地感情は最高潮に達していた。95年10月21日に8万5000人(主催者発表)が集まる「県民総決起大会」が開かれた矢先の提訴で、県民の失望は大きく、「総決起大会」の事務局長は、
「いくら巡り合わせとはいえ、反基地闘争を長年戦ってきた社会党の委員長が、選挙でも推薦した知事を訴えるのは極めて残念だ」(1995年12月7日、朝日新聞)
と話した。
安保法案反対めぐっては活発に活動していた村山氏だが...
こういった経緯があるからなのか、15年夏には安保関連法案への反対活動を活発に展開した村山氏も、基地問題についての発言は多くない。15年6月9日に東京・内幸町の日本記者クラブ行われた会見では、代理署名の件には直接触れずに、
「安保条約があって、日本に基地があることは、今は当然やむを得ない。けれども、しかし、これまで背負ってきた県民の苦労というものを考えた場合に、私は、やっぱり国民全体がもう少しそのことは考えるべきだ、政府も誠意を持って対応していくということが大事だと思う」
と述べ、苦渋をにじませていた。
社民党が11月17日に吉川元幹事長代行の名前で
「辺野古新基地建設ありきの国策を強権的に押しつけようとして、沖縄県民の民意を踏みにじり、地方自治と民主主義を破壊するもの」
などと全力で政府を非難する談話を出したのとは対照的だ。