制裁解除にらみ、イランとようやく「投資協定」の日本 欧米に出遅れ、挽回策は官民一体の「中東詣で」

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   核協議の合意に伴うイランに対する経済制裁の解除をにらみ、各国がイランに熱い視線を向けている。出遅れ気味だった日本も、岸田文雄外相が2015年10月12日、イランを訪れてザリフ外相と会談し、両国間で投資協定を締結することで合意した。9月7日の交渉開始から約1か月という異例の速さだ。

   これに併せて、日本の企業関係者の訪問も相次ぎ、日本の官民一体による「イラン詣で」が始動したが、中東有数の有望市場をめぐる欧米や中国などとのの競争は激しさを増しており、立ちはだかる壁は高い。

  • 各国がイランに熱い視線を向ける中、日本も動き出した
    各国がイランに熱い視線を向ける中、日本も動き出した
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2016年早々にも制裁解除か

   投資協定は、企業の海外への工場進出や会社の設立、株式取得などを自由に行える環境を整え、投資家と投資財産の保護を外国と約束するもの。企業進出や投資の前提ともいえるもので、イランとはすでに52か国が投資協定を締結しており、対イラン経済制裁解除後の市場参入を前に、日本もようやく追いついた形だ。

   イランの核開発問題をめぐる経緯を確認しておこう。2002年にイラン反体制派が核開発を暴露、2006年12月に国連安全保障理事会が核開発に関係する個人や企業の資産凍結を決議。これを受けて欧米諸国はイランに対する経済制裁を発動し、武器禁輸、各国の金融機関のイランとの金融取引を禁止するなど制裁の対象を拡大していき、日本も石油・ガス開発などの新規投資や金融取引などを禁止する制裁を発動した。

   これにより、イランの石油の輸出が実質的に厳しく制限されたため、イラン経済は疲弊。これに対する国民の批判を背に、改革派のロウハニ大統領が誕生したのを契機に欧米との交渉が動き始め、2015年7月、6カ国(安保理常任理事国5か国+ドイツ)との間でイランの核開発を8~15年に制限する「包括的共同行動計画」で合意した。ウラン濃縮のための遠心分離機の数や濃縮ウランの貯蔵量の削減などが柱で、現在は同計画に基づく具体的なイラン側の対応や国際原子力機関(IAEA)の検証に向けた作業などが進行中。実際に経済制裁が解除されるのは、2016年の年明けから前半との見方が強い。

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