ボディーの溶接箇所を90以上増やし強度を向上
12年ぶりのターボエンジン車の実現は、豊田章男社長が呪文のように繰り返す「もっといいクルマつくろうよ」の精神を体現し、走りの楽しさを追求した結果だ。排気量2.0リットルだが、3.5リットルの通常エンジン並みの出力があるという。また、一部改良時には通常行わないという、工場のライン変更にも踏みきり、ボディーの溶接箇所を90以上増やしたうえ、特殊な接着剤も導入した。このライン変更によってボディーに強度が増し、走行の安定性も高まったうえ、乗り心地も良くなったとトヨタは説明している。今回の「一部改良」についてトヨタは「大幅改良」とも表現し、クラウンへの注力ぶりをアピールしている。
そんなクラウンの初代が誕生したのは1955年。海外メーカーと提携せずに、開発から主要な部品の調達まですべて「国産」でまかなう、とのコンセプトをかかげた。米国車を見本としながらも「純国産高級車」との位置づけだ。トヨタ社内でクルマの開発から生産まで一貫した権限を持つポジション「主査」を導入した初のクルマでもあった。初代クラウンはトヨタとして米国への「輸出第1号」でもあったが、故障ばかり起こすと苦情が相次ぎ、撤退を余儀なくされる苦い思い出をまとってもいる。