2015年のノーベル賞で連日、日本中が沸いている。生理学・医学賞に大村智・北里大学特別栄誉教授が、物理学賞に梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長が選ばれた。
理系少年であった筆者も自然科学が脚光を浴びるのをうれしく思う。今回の梶田氏の受賞対象であるニュートリノには思い出がある。筆者が財務省(旧大蔵省)に入省した直後の1983年ごろ、面白い研究や企業を選んでどこでも出張してもいいといわれた。そこで、その当時建設中のカミオカンデ(岐阜県神岡鉱山地下の観測施設)に光電管を納入する浜松ホトニクスを選んだ。
高度成長期には余裕があったが
当時のカミオカンデの建設の目的は、陽子崩壊を観測することだった。陽子崩壊は、物理学での究極理論である大統一理論(自然界の電磁気力や重力などを統一的に説明する理論)の構築に役立つだろうとの記事をみて、それに協力する企業はどのようなところなのかと興味をもったからだ。企業は利益追求なのに、利益追求とまったく無縁な基礎研究の典型である大統一理論に貢献するというアンバランスに興味があったからだ。出張レポートは、理系青年らしく、基礎研究の重要性を書いた記憶がある。
1980年はじめは、まだ高度成長の余韻が残っていた。経済に余裕があったので、基礎研究にもそれなりの予算が配分されていた。なにしろ、官僚になったばかりの筆者に、「優雅な」主張を命じたくらいだ。
カミオカンデでの実験では、当時の大統一理論は否定され、別の理論が作られていった。それとともにカミオカンデも研究対象をニュートリノへと広げたと後日聞いた。ただ、それが、2002年の小柴昌俊氏、今年の梶田氏のノーベル賞につながっているのは感慨深い。
2000年以降、日本のノーベル賞受賞者は自然科学では14人だ(米国籍になった元日本人を含めると16人)。これは米国に次いで多い。ノーベル賞研究は、過去の功績を十分精査されるので、研究後30年くらいのズレがあって受賞される。2000年以降ノーベル賞受賞が多くなったのは、だいたい1970年以降の研究が評価されているといっていい。これは、日本の高度成長と一致している。筆者の浜松ホトニクス出張も、研究者が楽しんでいたという印象だ。企業も余裕があるから、楽しめというスタンスだった。