人気のラーメン店「東池袋大勝軒」が揺れている。創業者の山岸一雄さん(享年80)が2015年4月に亡くなって半年が経ったが、約60人の弟子で構成された互助会組織「大勝軒のれん会」が分裂してしまった。
「東池袋大勝軒」は、「つけ麺の元祖」として知られる。山岸さんが考案した、看板メニューの「特製もりそば」はつるりとした食感とコシの強い自家製麺に、甘酢っぱくもあっさりしたスープが特徴だ。
大勝軒「のれん会」と「味と心を守る会」だけで80近くにのぼる
多くのファンを抱えている大勝軒。その「味」は、艶やかな白色に卵の黄色がほんのりとした、工夫をこらした自家製の「多加水卵中太麺」と、げんこつと豚足、鳥をベースにひき肉の旨みと甘みがミックスされ、さらに煮干や鯖節、魚粉を加えることで生まれる、魚の風味とコクがしっかりと生きた豊かな味のスープにある。
つるりとした中にもコシがしっかりとした食感で、塩分を含んでいる灌水の比重が低く、からだに優しいとされる。
「東池袋大勝軒」のホームページによると、東池袋「大勝軒」は1961年に開業。「つけ麺」で人気を呼んだ。2007年、再開発計画による立ち退きで一時は閉店したが、閉店を惜しむ声に翌08年に復活。現在、「東池袋大勝軒本店」として、弟子で南池袋「大勝軒」の店主だった飯野敏彦さん(47)が2代目店主として継承している。
分裂騒ぎは、そんな本店と滝野川店や横濱西口店などの直営店のほか、50近くが集まる「大勝軒 のれん会」と、2015年8月に発足した「大勝軒 味と心を守る会」のあいだで起こった。「守る会」のメンバーも30を超えている。
一見すると、「大勝軒」の看板を掲げる正統性は、山岸さんが生前に本店2代目店主に「指名」した飯野さんが所属する「のれん会」のほうにあるようにみえるが、いずれも「大勝軒」の看板を掲げている。
たとえば、東京都内では「東池袋大勝軒 本店」や「南池袋 大勝軒」をはじめ16か店が「のれん会」に所属。一方、「守る会」には「お茶の水 大勝軒」や「浅草 大勝軒」など12か店が所属する。どれも山岸さんが多くの弟子を抱えて育てあげ、のれん分けしてきた店で、「本家本元」を主張する。
とはいえ、お客の目からは、どれが「のれん会」か、「守る会」かはよくわからない。さらには、東池袋「大勝軒」系を含め、全国に100軒はあるといわれる「大勝軒」には、東京都内だけでも「中野 大勝軒」や「永福町 大勝軒」などがあり、その看板を掲げるラーメン店や中華料理店はめずらしくない。
ちなみに、「大勝軒」は商標登録していないので、今後も誰の許可を得ることなく、増えていく可能性もあるわけだ。
「大勝軒、おいしくなくなった」といわれた・・・
「大勝軒 味と心を守る会」メンバーの一人、「川崎 大勝軒」店主の深町英雄さんによると、「山岸一雄さんと飯野敏彦さんとは血縁関係はなく、飯野さんは多くの弟子の一人でした。山岸さんは、熱心に修行を積んでいた飯野さんをかわいがっていました。飯野さんもそれに応えようと励んでいました。それが・・・」とこぼす。
分裂が決定的になったのは、山岸さんの告別式のあった2015年4月8日だった。葬儀後、火葬場で「マスター(山岸さん)と最後のお別れがしたい」と願い出た弟子たちが門前払いを受けたほか、「亡くなったことや葬儀の日程も知らされなかった」(深町さん)人もいた。
しかし、深町さんは「のれん会は、たとえばPRや取材の機会を均等にすることなどを目的としていましたが、それが徐々に取材対応や新商品の開発などについて、本店の許可が必要になるようになったのです」と、本店と他店とのトラブルがあったことを明かす。
深町さんは、「実際にお客様から、『この前、どこそこの店で食べたけど、おいしくなかった』とはっきり言われたこともありました。同じ『大勝軒』の看板ですから、お客様は何かあるとクレームを言ってくるんですよ。そんなことですから、いまは『のれん会』とはいっしょに商売できないと感じています」と話し、もしかしたら「(飯野さんに)他店が本店よりも目立つようなことはいけないといった、猜疑心があるのかもしれません」とみている。
「軋轢」の真相ははっきりしないが、両者の溝が深いのだけは確かだ。