無実訴え続け46年、「名張毒ブドウ酒事件」の奥西死刑囚が収監先で死亡 89歳

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   三重県名張市で1961年に女性5人が死亡した「名張毒ブドウ酒事件」で、69年に死刑判決を受けたものの無実を訴えて再審請求中だった奥西勝死刑囚(89)が、2015年10月4日正午すぎに収容先の東京・八王子医療刑務所で死亡した。

   「名張毒ブドウ酒事件」は1961年3月に起きた。地区住民の懇親会で農薬が混入されたブドウ酒を飲み女性5人が死亡。奥西死刑囚は農薬混入を自白し逮捕されたが、起訴前に否認に転じた。64年の一審・津地裁は無罪としたが、69年の二審・名古屋高裁は死刑判決を下し、72年の最高裁で死刑が確定した。

   その後も奥西死刑囚は無罪を訴え続け、再審請求を繰り返したが、棄却され続けた。2005年の第7次再審請求で名古屋高裁は再審開始を決定したが、翌06年に検察側の異議申立てを受けた名古屋高裁はこの再審開始決定を取り消した。

   10年、最高裁は審理を名古屋高裁に差し戻したが、同高裁は12年、「奥西死刑囚以外に農薬を混入しえた者はいない」と結論づけ、再審開始の決定を再び取り消した。

   その後、奥西死刑囚は肺炎を患い、名古屋拘置所から同市内の病院に移された。翌13年6月には八王子医療刑務所に移送され、15年8月にも意識を失うなど体調不良が続いていた。

   奥西死刑囚と弁護団は、15年5月から第9次の再審請求中だった。

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