松井秀喜が闘病中の黒木アナに直筆の応援メッセージ 1度インタビュー受けただけなのにそこまで、と驚嘆の声

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

   元ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜氏(41)の「人格者」ぶりが思わぬ局面でクローズアップされている。

   松井氏は現役選手時代から手厚いファンサービスに加えて、報道陣とも良好な関係を続けてきたことは有名だ。その松井氏が、かつて1度だけインタビューを受けたキャスターの闘病を知り、直筆のメッセージを送った。皮肉なことに、キャスターの死去をきっかけにこのエピソードが広く知られるようになった。

  • 松井氏は慈善活動にも積極的に関わっている(写真は2014年撮影)
    松井氏は慈善活動にも積極的に関わっている(写真は2014年撮影)
  • 松井氏は慈善活動にも積極的に関わっている(写真は2014年撮影)

「病気を場外まで打ち飛ばしてください!」の直筆メッセージ

   松井さんのエピソードが綴られていたのは、2015年9月19日に胃がんのため32歳の若さで死去したフリーアナウンサーの黒木奈々さんのエッセー「未来のことは未来の私にまかせよう」(文芸春秋)。

   黒木さんは14年3月にNHK BS1の「国際報道2014」のメインキャスターに抜擢されたが、14年夏に胃がんの診断を受けた。9月には胃の全摘出手術を受け、抗がん剤による治療を経て15年1月に仕事復帰を果たしたが、7月13日の放送を最後に再び療養生活を続けてきた。

   15年3月に出版された黒木さんのエッセーには、こういった闘病生活が日記形式でつづられており、手術前日にニューヨークの知人から荷物が届く場面で松井氏が登場する。

「どうしても渡したいものがあると、手紙が同封されていた。荷物の中身はなんと、松井秀喜さんの直筆のメッセージとサインが入ったボールだった。『病気を場外まで打ち飛ばしてください!』松井さんには引退セレモニーの際に、ニューヨークでインタビューさせて頂いたことがある。一度お目にかかっただけなのに、うれしくてたまらなかった」

黒木さんを「話しやすく、記者の目を持って質問するキャスター」と評価

   松井氏の引退セレモニーが行われたのは13年7月28日。松井氏ほどの著名人が、1年以上前に1度だけインタビューを担当した人のことを気に留めているケースは必ずしも多くない。だが、松井氏は黒木さんのキャスターとしての力量を高く評価していたようだ。15年9月23日に行われた黒木さんの葬儀・告別式には徳光和夫アナウンサー(74)も参列。徳光アナは、松井氏が黒木さんのことを「話しやすく、記者の目を持って質問するキャスター」だと高く評価していたことを明かした。黒木さんは大学卒業直後に大阪の毎日放送(MBS)に入社し、記者として勤務した経験がある。

   このエピソードはサンケイスポーツのウェブサイトのコラム「芸能ショナイ業務話」でも取り上げられ、コメント欄やツイッターでは、

「お前はどこまで凄い男なんだ」

などと松井氏の人柄に感心する声が相次いだ。

   松井氏の「義理堅さ」を示すエピソードは多いが、広く知られているのが経営破たん時の日本航空(JAL)をめぐるものだ。松井氏は02年から04年までJALのイメージキャラクターを務めた。契約が切れた後も日米を往復する際はJALを利用し、契約終了から5年が経った10年1月にはJALが会社更生法の適用を申請して経営破たん。その直後に松井氏は

「けっして忘れないでほしいと思う。JALを応援する人が、ここにいることを」

というメッセージを送り、社員を勇気づけたことは今でもJAL社内の語り草になっている。

姉妹サイト