黒木さんを「話しやすく、記者の目を持って質問するキャスター」と評価
松井氏の引退セレモニーが行われたのは13年7月28日。松井氏ほどの著名人が、1年以上前に1度だけインタビューを担当した人のことを気に留めているケースは必ずしも多くない。だが、松井氏は黒木さんのキャスターとしての力量を高く評価していたようだ。15年9月23日に行われた黒木さんの葬儀・告別式には徳光和夫アナウンサー(74)も参列。徳光アナは、松井氏が黒木さんのことを「話しやすく、記者の目を持って質問するキャスター」だと高く評価していたことを明かした。黒木さんは大学卒業直後に大阪の毎日放送(MBS)に入社し、記者として勤務した経験がある。
このエピソードはサンケイスポーツのウェブサイトのコラム「芸能ショナイ業務話」でも取り上げられ、コメント欄やツイッターでは、
「お前はどこまで凄い男なんだ」
などと松井氏の人柄に感心する声が相次いだ。
松井氏の「義理堅さ」を示すエピソードは多いが、広く知られているのが経営破たん時の日本航空(JAL)をめぐるものだ。松井氏は02年から04年までJALのイメージキャラクターを務めた。契約が切れた後も日米を往復する際はJALを利用し、契約終了から5年が経った10年1月にはJALが会社更生法の適用を申請して経営破たん。その直後に松井氏は
「けっして忘れないでほしいと思う。JALを応援する人が、ここにいることを」
というメッセージを送り、社員を勇気づけたことは今でもJAL社内の語り草になっている。