つんく♂、ハロプロ「総合P」退いていた ショック隠しきれないファンたち

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   音楽プロデューサーのつんく♂さん(46)が、アイドル集団「ハロー!プロジェクト」の総合プロデューサーを「卒業」していたことが明らかになった。

   つんく♂さん自身が2015年9月10日発売の手記「だから、生きる。」(新潮社)の中で告白した。

  • 9月10日発売の「だから、生きる。」(新潮社)
    9月10日発売の「だから、生きる。」(新潮社)
  • 9月10日発売の「だから、生きる。」(新潮社)

モー娘。NY公演後に一区切り?

   手記は、喉頭がんが見つかってから声帯摘出に至るまでの日々や、闘病を支えてくれた家族への思いなどを綴ったもの。その中で、総合プロデューサーをやめるに至った経緯について触れている。

   きっかけは2013年秋ごろ、「シャ乱Q」やハロプロメンバーが所属するアップフロントグループの会長から、「そろそろ降りたらどうか」と提案されたことだった。

   最初に喉頭がんが見つかったのは2014年2月のことで、当時は発覚前だったが、つんく♂さんはこの頃から喉の不調を強く感じていた。そのため、会長が休養を取ることを勧めたという。

   もっとも、つんく♂さんとしては「まだまだ続ける気も、展望も大アリだった」ため、この提案に驚いたそうだ。だが、じっくりと話し合い、結果的に総合プロデューサー業からは退くことに。その上で、作詞作曲については「一作家」として参加し、モーニング娘。にはサウンドプロデューサーとして携わることとなった。

   手記には具体的な「卒業時期」は記されていないが、モーニング娘。'14が2014年10月に米ニューヨークで公演を行った際のことを「僕の音楽人生の半分以上を賭けてきた、ひとつの大きな『仕事』」が終わった」と振り返っている。どうやらこのタイミングで一つの区切りをつけたようだ。

   つんく♂さんは帰国直後に声帯の摘出手術を受け、その後まもなくして仕事に復帰。15年4月には、近畿大学の入学式で声帯を摘出したことを初めて打ち明けた。

「上手く言葉が出ません」「気持ちの整理がつかない」

   これまでつんく♂さんの総合プロデューサー引退については、本人はもちろん、事務所も発表してこなかった。だが正式発表がなくとも、ハロプロファンらは薄々と感づいていたようだ。

   これまでハロプログループの楽曲はほぼ全てにおいてつんく♂さんが作詞作曲していたが、2015年に発表された楽曲は、その多くを別の人物が手がけており、ファンの間では「つんく体制崩壊」がささやかれていた。CDのラベルから「Produced byつんく♂」の表記が消えたとの指摘も少なくなく、これが「引退」を印象付けていたようだ。

   ハロプロファン歴5年の20代女性は「以前なら率先して告知していた新メンバーオーディションや、新ユニット結成についても、最近は表立ってしなくなった。もう直接関わってないのかな、と感じていました」と話す。

   引退に気付いていながらも、実際に発表されるとショックは大きいようで、つんく♂さんのブログやツイッターには「なんとなく予想はしていましたが、とても寂しく上手く言葉が出ません」「正直ショックを隠しきれません」「気持ちの整理がつかない」という声も目立つ。

   しかし同時に「私はつんく♂さんありきでハロー!プロジェクトだと思います。たとえプロデューサーの座でなくとも」「曲を書いてもらえるだけで良いんです」「これからもハロプロを応援していくことには変わりありません」という熱いメッセージも数多く寄せられている。

   退いてからしばらく経っていることもあり、ファンらは発表に驚きつつも、カリスマプロデューサー不在のハロプロをすでに受け入れつつあるようだ。

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