三菱自動車が米国子会社の工場(イリノイ州)での生産を、2015年11月末をめどに終了する。2012年に欧州での生産から撤退し、オランダの工場を売却しており、日本の主要な自動車メーカーで初めて、米国と欧州の双方での現地生産から手を引くことになる。
ロシアの販売が落ち込む
三菱自の米国生産の開始はバブル経済真っ盛りの1988年に遡る。米大手自動車メーカー、クライスラーとの合弁会社で自動車生産に着手。1991年に合弁会社の全株を取得し、2000年には生産台数が22万台を超えた。その後、クライスラー向けのOEM(相手先ブランドによる生産)の終了、リーマン・ショックに伴う世界的な自動車販売の低迷などにより、2009年には生産台数が18万台に低下。その後も減少に歯止めがかからず、2014年の生産台数はわずか6万9000台にまで落ち込んでいた。
米国での販売規模が小さいことに加え、同工場の生産の3分の1を占めていたロシア向けが大幅に減少したことが響いた。ウクライナ問題に伴う対露制裁もあって通貨安とロシア経済低迷から、ロシアでの販売が振るわなかったためだ。
米国生産撤退を発表した7月27日の記者会見で、三菱自の相川哲郎社長は「工場を維持する生産規模になっていない。『選択と集中』を進めるために工場を売却する」と語り、米国からの生産撤退を正式に表明した。
同工場で生産していた「アウトランダー・スポーツ(日本名RVR)」の生産は、同モデルの主力生産拠点である岡崎工場に集約する。三菱自の2015年4~6月期決算によると、米国では小型車「ミラージュ」の販売が好調に推移し、北米での販売台数が3万5000台と前年同期より7000台増加。今後も米国市場を「成長市場」と位置づけ、日本、タイの工場から米国へ製品輸出は続ける方針だ。