筑摩書房が1998年に刊行した三島由紀夫の「命売ります」(ちくま文庫)が、2015年7月に7万部を重版した。
映画化やドラマ化されるでもなく、「三島由紀夫」の名前が文庫ランキングの上位に並ぶのは異例で、書店では売り切れが続出するほど売れているという。
三島由紀夫、生誕90年 文豪作品に「再評価」の兆し
筑摩書房によると、三島由紀夫の「命売ります」は2015年8月6日現在、累計で11万1200部(20刷)を発行している。
作品が売れはじめた7月3日時点の重版は2000部だったが、書店の売り上げが急上昇。また、読者からの問い合わせが殺到したため、結局7月だけで7万部を重版した。じつに累計発行部数の半数以上を、この7月に刊行したことになる。
2015年は三島由紀夫の生誕90年にあたる。「命売ります」は1968年、週刊プレイボーイに連載された長編小説。自殺に失敗した男が「命売ります」と新聞広告を出したところ、それを利用しようとする人間が次々に現れては騒動を起こしていくストーリーだ。
同社は「三島作品のコーナーを設けている書店から、なぜか『命売ります』がよく売れているという声が、ちらほらと耳に入ってきていました」という。「仮面の告白」や「潮騒」、「金閣寺」といった代表作に比べると知る人ぞ知る作品だが、「読者がこれを機に手にとってみたいという気になったのではないか」とみている。
文庫本の営業担当者が「隠れた怪作小説 発見!」というキャッチコピーで、社内印刷による手づくりの「帯」を作成。1冊ずつ本に巻いて、書店で展開したことも功を奏したようだ。
湊かなえや西加奈子、伊坂幸太郎といった現代の人気作家の作品に分け入って、書店の文庫ランキングに登場。紀伊國屋書店新宿本店の文庫週間ランキング(7月27日~8月2日)で1位、丸善丸の内本店(7月23日~29日)でも1位となった。
筑摩書房によると、三島作品は近年では歌手の小沢健二さんが愛読していることでファンを中心に人気が広がった、「三島由紀夫レター教室」(ちくま文庫)があるが、「当時とはヒットの背景が違うようです」とみている。
POSデータを分析したところ、30~50代の女性の購入が少なくなく、突然のヒットの背景には「文豪作品への再評価があるようです。草の根からジワジワと押し寄せてきている心証があります」と話し、「文庫本の新しいトレンドの兆し」とみている。
漱石の「こころ」もトップ50入り
じつは、最近売れている文豪作品は「命売ります」だけではない。たとえば、筑摩書房では昭和の流行作家、獅子文六が約50年前に書いた「コーヒーと恋愛」(ちくま文庫。原題は「可否道」)が2013年4月の復刊文庫化とともに話題となり、発行部数は現在累計(13刷)で5万7000部にのぼる。
さらに、「七時間半」も反響を集めているという。「いずれの作品も手にとりやすく、読みやすさを前面に押し出し、むずかしそうといったイメージを払しょくするため、装丁に凝りました」と話す。
芥川賞作家となった又吉直樹の「火花」効果もあるようで、最近の文豪作品の人気について、「又吉さんが太宰治はじめ、文豪とよばれる作家の魅力を積極的に発信されている影響は大きいと思います」と、書店関係者は口をそろえる。
太宰治の長編小説「人間失格 改版」(新潮文庫)は、丸善やジュンク堂などの書店大手の売れ筋をランキングする、最新の「hontoランキング」(文庫一般、週間)で、43位に付けた。hontoランキングを運営するトゥ・ディファクトによると、「太宰作品は又吉さんのイチ押しですからね。7月最終週にはベスト10入りしていました」と話す。
最新ランキングでは、三島由紀夫の「命売ります」が33位。夏目漱石の「こころ 改版」(新潮文庫)も34位と、50位以内に入っている。
純文学ブームはこれまでも、たびたび起ってきた。2009年~10年にかけて、太宰治の「斜陽」や「人間失格」、小林多喜二の「蟹工船」が相次いで映画化されたり、テレビでは「青い文学シリーズ」として太宰治、坂口安吾、夏目漱石、芥川龍之介らの名作がアニメ化されたりと、映像化を機に本が売れた。
また最近は、萩原朔太郎を題材とした漫画「月に吠えらんねえ」(清家雪子著)をきっかけにした朔太郎人気や、詩人・北原白秋が読まれるなど、「文豪作品」が見直されていることは確かなようだ。低迷する出版業界にとって、明るさを取り戻すきっかけになるかもしれない。