インドは今、「代理出産の工場」
じつは、ムケルジー博士の第2号ベイビーについて、2002年にICMR(インド医学研究審議会)は研究成果として公認していた。博士の死から、なんと21年後である。世界的に権威ある科学者の人名辞典にも掲載された。しかし、州政府や中央政府は無言だと、スニット博士らは怒っている。
インドは今、「代理出産の工場」と揶揄されるほどの体外受精大国である。子どもを産まない妻に対するハラスメントは社会問題となっており、何としてでも子どもをという社会的圧力が強い。一方で、不妊治療技術は進み、欧米先進国より生命倫理に対する規制が緩やかなこともあり、海外からの依頼者も多い。2008年には、日本人夫婦の「事件」が注目を浴びた。夫婦がインド人女性に代理出産を依頼したが、出産前に離婚、インドと日本の法律の違いから、子どもの国籍が宙ぶらりんとなってしまった。子どもがパスポートを取得できず、出国できないという騒ぎだった。
国立民族学博物館の松尾瑞穂准教授は、インドを研究フィールドとして生殖医療技術、不妊の問題を文化人類学の視点で研究している。
「2000年以降、インド大都市の医療機関の進歩は目覚ましく、米国、日本に次いでの不妊治療先進国となりました。2005年以降、欧米の患者にとって、インドは代理出産の行き場の一つになった」という。
インドには他の国にはないカーストというような社会的な制度がある。宗教や制度の制約が不妊問題にも深く関係している。一部では、女性は子どもを産むための存在とされ、体外受精がうまくいかないと、妻を替える「複婚」という問題もある。代理出産では、出産役として一般にはカーストまでは選べないが、お金次第ではカーストを指定するプレミアムもあるという。さらに、中東からは同性婚の夫婦から代理母の依頼も来るという。もちろん、闇の世界である。松尾さんの著書「インドにおける代理出産の文化論」(風響社刊)に詳しい。
ムケルジー博士の試験管ベイビー2号から、インドの生殖医療は大変化を遂げているが、生命倫理や社会規範はその進化には追い付いていないと思う。それは何もインドだけではないが。