2015年7月14日、多臓器不全で亡くなった高橋一三さんは、巨人V9を支えた左腕のエースであり、漫画「巨人の星」のモデルだった。
また一人、昭和野球界の星が消えてしまった。
すごみのあるサウスポー
プロ野球の世界から身を引いた後、高橋は山梨学院大の野球部監督を務めていた。昨年春、体調を崩していたと聞いていたが、まさかこのような事態になるとは思わなかった。
現役時代の高橋はすごみのあるサウスポーだった。自由競争時代最後の1965年に巨人入り。69年に22勝を挙げて主力となるのだが、すでに1歳下の堀内恒夫がエースとなっており、以後も常に「ホリ、カズミ」の順番で呼ばれることになった。
ピッチングスタイルは典型的なオーバーハンドで、150キロクラスの速球と鋭いスクリューボールを武器とした。身体いっぱいを使って投げ下ろす迫力があった。いかり肩で左利き独特の動きが印象深く残っている。
人気野球漫画「巨人の星」の主人公、星飛雄馬のモデルになったほどで、いかに個性的な投手だったかが分かる。
完投で日本シリーズ4連覇
NO2の存在でありながら、チームの信頼度は高かった。それを証明しているのは優勝を決める試合に勝ち投手となる「胴上げ投手」に数多くなったことである。驚く実績は次の通りだ。
ペナントレース5度=66年、69年、71年、72年、73年
日本シリーズ4度=69年、70年、71年、72年
すべてV9時代のものである。
ペナントレースの73年は9連覇を決めた年。阪神と甲子園で優勝をかけての最終決戦だった。9-0の完封勝利。試合終了後、阪神ファンがグラウンドになだれ込み、巨人ベンチに押しかけるという荒れた結末となった。
出色は日本シリーズで、4年連続の快挙。いずれも完投勝利という快挙だった。「胴上げ投手のカズミ」と呼ばれたものだった。
ふつうならもっと騒がれていい投手だったが、相棒の堀内はとにかく言動が派手で、高橋はいつもニコニコしながら後輩を見ていた。欲のない性格だった。
同僚だった王貞治が「球史に残る左腕だった」と語った。高橋にとって何よりの言葉だろう。
(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)