インテリア・家具チェーンの大塚家具の経営権をめぐる「父娘げんか」が、その舞台を法廷に移して繰り広げられている。
この裁判は、2008年に父で創業者の大塚勝久前会長(71)が保有する大塚家具の130万株を、久美子社長(47)が役員を務める資産管理会社の「ききょう企画」に約15億円で譲渡。代わりに勝久氏を引受人とする15億円の社債が発行されたが、償還期限の13年4月を過ぎても償還されなかったため、返還を求めて提訴した。
父は「社債の償還を」娘は「相続対策」を主張
父・大塚勝久前会長と娘・久美子社長の尋問が2015年7月13日、東京地裁で行われた。2人が公の場で顔を合わせるのは、「大株主」と「社長」として対峙した3月27日の株主総会以来このとだ。
複数のメディアなどによると、最初に証言に立ったのは久美子社長。「大謝恩セール」などでみせた、トレードマークの白のスーツを封印して、この日は落ち着いた雰囲気の紺のスーツに身を包んで登場。表情には若干の硬さがあった。
法廷では勝久氏と目を合わせることがなく、また勝久氏を終始「原告」と呼び続けたという。
久美子社長は大塚家具の130万株の譲渡について、「原告(勝久氏)からの相続対策の一環で、2007~08年の家族会議で私から説明した」と証言。
「事業承継のためのスキームで、親がつくった会社をみんなで守ろう、みんなが犠牲を払って守っていこうと思っていた」
「親のためを思ってやったことを、親の側から無為にされた。(訴訟になり)非常に残念」
と陳述した。
「情けない...」とも述べた。
ききょう企画の代表を務める、次女の舞子氏が「自分が裁判に出ていることが、まったく理解できない。父のため、大塚家のためと思って両親を信じていたがどうして...」と涙ながらに語ると、傍聴席で見守っていた久美子社長も目を赤くはらした。
久美子社長は、社債の償還期限の延長についても「自動的に延期されるとの認識で、家族内で同意していた」と主張した。
質問を最後まで聞かず、自らの意見を一方的に話す
一方、勝久氏は社債の償還期限の延長について、「社債を引き受けたのは、子供たちの生活費を援助するつもりだった。久美子からの提案だったので、信頼して言われたとおりに了解したが、援助が必要なくなったら(15億円を)返してもらうつもりだった。償還期限の自動延長は、一度も言われたことがありません」と反論。「いま考えると、株ではなくて(援助のための)お金を渡すほうがよかった。久美子を信頼したら、こうなったんです」と、悔いている様子もうかがえる。
勝久氏のボルテージが上がったのは、大塚家具の経営権について言及したときだ。「大塚家具はいつまでも大塚家のものとは思わない」としながらも、久美子社長の弁護人に「あなたが会社に復帰することがいいことか」と問われると、「はいそうです」と答えた。
経営トップを久美子社長に譲った経緯について
「久美子が...、久美子さんが、私に相談にくると思って任せたが、相談はなかった」
「(久美子社長が)私に任せろと再三言うので任せた」
と主張。これに、久美子社長は「不祥事で意気消沈していた原告に、社長を代わってほしいといわれた」と述べ、主張は食い違った。
さらには感情が高ぶったのか、「暴走」ぎみに、
「今の大塚家具は(創業から)45年で、初めて私がいない経営なんです」
「なぜ私を追い出すようなことをしたんですか」
「いま私は無職ですから。経営者は久美子ですから」
などと発言。
久美子社長の弁護人に向かって、「へ理屈は大嫌いなんです」と声を荒らげるシーンや、質問を最後まで聞かず、自らの意見を一方的に話す態度に、裁判長が「あんまり言うと、(発言を)制限しないといけなくなりますよ」と、あきれるほど。自身の弁護士からも、「質問の答えだけ。我慢してください」と注意される一幕もあった。
どうやら勝久氏は、かなりうっぷんが溜まっていたようだが、発言の一つひとつが経営復帰への「執念」のようにも映る。
大塚家具は2015年6月の店舗売上高が前年同月に比べて49.6%増となり、2か月連続で前年実績を上回った。増税前の13年6月と比べると24.4%増。ようやく業績回復のきっかけがつかめそうだが、一方の父娘げんかは泥沼化の様相だ。