太平洋戦争で米軍に撃沈された大日本帝国海軍の戦艦「大和」を海底から引き揚げようと、自民党の国会議員有志が立ちあがった。
2015年5月26日、中川俊直衆院議員(広島4区選出)の呼びかけのもと調査研究会が発足。同日の初会合では自民党の若手議員ら約10人が活発な意見交換を行った。
中川俊直議員「地元の声を大事にしながら」
「大和」は当時の日本の最先端技術を取り入れた世界最大の戦艦として、広島県呉市で極秘裏に建造が進められ、太平洋戦争開戦直後の1941年12月に完工した。1945年4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途中で、空から米軍に猛烈な攻撃を受けて沈没。船体は現在も鹿児島県沖の東シナ海の底で眠っている。
研究会では大和を日本の「産業遺産」と位置付け、専門家にヒアリングしながら戦艦が持つ歴史的および文化的な意義を検証するとしている。今後は最新技術を使った水中調査の実施や船体の一部引き揚げを目指して政府に支援を求める提言を行う方針だ。
大和は多くの乗員とともに海に沈んだことから、引き揚げを巡っては「墓荒らしと同じ」「戦死者の墓標として扱うべきだ」といった反対意見もある。中川議員は会合後の記者取材で、そうした意見があることにも触れつつ、
「さまざまな部分で引き揚げることに意義があるという観点の中から、地元の声を大事にさせていただきながら進めていきたいと思っています」
などと話した。
同じ主力艦では2015年3月、フィリピン沖の海中で戦艦「武蔵」が発見され、大きな話題となった。この時も引き揚げの可能性に注目が集まったが、船体は水深約1000メートルというかなり深いところにあり、大規模な船体の引き揚げは極めて困難との指摘が相次いだ。
一方の大和は水深345メートルと武蔵に比べれば浅いところにある。過去には1985年、1999年の2回にわたって潜水調査が行われており、一部遺品が引き揚げられた。研究会がどの程度の船体引き揚げを想定しているのかは不明だが、その規模によっては不可能ではなさそうだ。インターネット上でも「見てみたい」と期待する声が出ている。
呉市の準備委は事実上解散
ちなみに、大和の引き揚げ話が浮上したのは今回が初めてではない。今から6年前の2009年、呉市の商工会議所などが中心となり「戦艦大和引き揚げ準備委員会」を発足、1月に初会合を開催した。2010年1月には資金収集のための基金開設などを盛り込んだ計画書をまとめた。
当時の新聞記事などによれば、準備委は引き揚げ費用を20億円前後と見積もり、主砲塔や装甲鈑、スクリューなどを展示することなどを検討していたという。実行委員会の設立を目指していたというが、呉商工会議所の担当者に話を聞いたところ「結局、諸般の事情により実行委員会が設置されることはありませんでした」とのことだった。現在、準備委員会の活動はなく、事実上解散と状態になっている。