「五輪後」を危惧する声
五輪重視はある程度は当然としても、五輪偏重を危惧する声もある。下村博文・文科相は改正文科省設置法成立を受け、「国民がスポーツで健康を享受できるような組織にしたい」と述べているが、2015年度のスポーツ関連予算全体(290億円)のうち、競技力向上など東京五輪に向けた準備費が4割増の130億円な膨らむ一方、スポーツ振興推進費は約160億円と微減している。
特に高齢化の急進で、年間40兆円に達する医療費が国民的な重荷になる中、スポーツによる健康増進は待ったなしの課題。日本は世界トップクラスの長寿国だが、健康で自立した生活を何歳まで送れるかを示す「健康寿命」と平均寿命の差は、男性で約9年、女性で約12年もある。
このため、全国紙の社説の論調も、五輪偏重を戒める声が強く、「五輪後見据えた施策を」(毎日5月17日)、「五輪庁で終わらせるな」(朝日5月17日)、「『金メダル庁』では情けない」(日経5月17日)などの見出しを謳い、「必要なのは、五輪をきっかけに高齢者も含めた市民スポーツの裾野を広げたり、文化としてのスポーツの魅力に光をあてたりする施策だろう」(日経)など、国民の健康増進へのスポーツ庁の取り組みの重要性を強調している。
「選手強化の先頭に」(読売5月19日)、「東京五輪目指し実績示せ」(産経主張5月16日)と、五輪に向けた対応を中心に論じた2紙も、「スポーツの価値をどう高め、スポーツを国民の生活にどう根付かせるか。これが同庁の根源的な役割である」(産経)などと、釘を差している。