コピーライターの糸井重里さん(66)がコピーライターをやめたことを明かし、その理由も説明した。
よいキャッチコピーを作るのと売れる商品を作るのは別で、よくない商品をキャッチコピーで売るようなことはしたくない、などというもの。ネット上ではこれに対する反発もあがっている。
「よくないものをコピーで売るのはやめたほうがいい」
糸井さんのインタビューは「朝日新聞デジタル」に2015年5月25日付けで掲載されている。見出しは「糸井重里さん、コピーライターやめました 売れるを語る」となっていて、社長を務める東京糸井重里事務所の商品について語ったものだ。この会社は数年内の株式上場を目指していて、数十万部を売った手帳をはじめ、タオル、料理レシピ本など物販でヒットを飛ばし、年間売上高が30億円を超えている。
インタビューの中で「あなたは売る名人なのか?」と聞かれた糸井さんは、「売れるに決まっているものをつくっています」と答えた。それに秀逸なキャッチコピーを付けているのかと聞かれると、「広告屋」は売るための手伝いはできるが、「限界を感じたのです」と返した。そして、
「自分が薦めたい商品ならいい。でも、もっと改善できるはず、なんて思ってしまうと、納得して商品を語れない。だからコピーライターはやめました」
とコメントしたのだ。さらに、
「よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい」
と続けた。
ネットではこうした発言を、コピーライターという仕事そのものを全否定したと受け止める人が多くいて、
「さんざん食わしてもらっておいて後ろ足で砂かけるレベル」
「言い訳がましくて醜いね。こんなことコピーライター数年で悟るわ」
「文化人っぽいこと言ってるけど 、やってることは詐欺師と同じなんだよな」
などといった批判が並ぶことになった。
コピーライターという肩書きの影響力が失われている
糸井さんのこうした発言は、本当にコピーライターという職業を否定するためだったのか、元コピーライターの女性に話を聞いてみた。今回のインタビューを読む限り職業否定ではない、とし、
「糸井さんはコピーライターを誇りに仕事をしてきた方ですし、プロデューサー、コーディネーターとしても活躍してきました。結局これは、コピーライターという枠内だけの仕事はやめ、商品作りから宣伝などを含め総合的な仕事をしているというアピールなんだと思いますよ」
と分析した。一方で、このコピーライターという肩書きの影響力が失われていることも原因の一つではないか、とも指摘する。1980年代は糸井さんを含め、仲畑貴志さん、林真理子さん、中島らもさんといったスターが生まれ、コピーライターそのものが文化の担い手だと持てはやされた。しかし、糸井さん世代以降はこれといった影響力を持つ人が現れていない。それは広告の作り方が変わったから。業界に元気がなくなり、こじんまりとした広告ばかりが目立ち、スターが引っ張るのではなく、集団作業で作るようになっている。当時、広告はアートとして迎え入れられ、販売する商品と同じ価値があるものとして大切にされていた。クライアント側も業界からスターを生み出して販売に結び付けようとする意欲もあった。先にキャッチコピーがありそれに合わせた商品開発が行われもした。
「もちろん広告は裏方であり、現在の日本の姿がスタンダードだとは思うのですが、ヨーロッパなど海外のように面白い広告が出てこないのが寂しい。かつてのように広告はアートなのだという立ち位置で挑戦的な作品が制作されるようになれば局面が変わり、また糸井さんのようなスターが生まれることになるだろうし、肩書きの価値も上がっていくことになると思います」