作詞家のちあき哲也(本名・小林千明=こばやし・ちあき)さんが2015年5月10日午前、都内の病院で死去した。66歳だった。葬儀は近親者ですませた。
神奈川県出身で1972年、「黄色い麦わら帽子」(松崎しげる)で作詞家デビューを果たす。作曲家・筒美京平さんとのタッグで生まれた「飛んでイスタンブール」(庄野真代)は空前のヒット作となった。
その後も、「仮面舞踏会」(少年隊)などを手がけ、2007年には「吾亦紅(われもこう)」(すぎもとまさと)で日本レコード大賞作詞賞を受賞した。
各種報道によると、ちあきさんは4年ほど前から胆管がんのため入退院を繰り返していたという。