「シャプラだから寄付する」【福島・いわき発】

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   インド料理の店「マユール」からカミサンに連絡があった。国際NGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」提供の募金箱(=写真)が重くなった、ひとまず1回分を贈りたいという。きのう(5月18日)、受け取りに行った。きょう、カミサンが平の交流スペース「ぶらっと」に届ける。「シャプラだから寄付する」という人がいたという。合計でン万円はあるようだ。

   何度も書いているが、シャプラはバングラデシュやネパールで「取り残された人々」の生活向上支援活動を展開している。東日本大震災では初めて国内支援に入った。北茨城市から、原発事故も重なって緊急救援の手薄ないわき市へ北上し、そこにとどまり、今も「ぶらっと」を運営している。

   私ら夫婦がシャプラとかかわるようになったのは、43年前の1972年。シャプラの前身「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」を立ち上げた一人が、福島高専の同じ寮の部屋で寝起きしたいわき生まれの男だった。

   同じ釜の飯を食った寮仲間と復帰前の沖縄を放浪したあと、私はいわきで新聞記者になった。彼は東京にとどまり、バングラデシュが大変な犠牲を払って独立すると、キリスト教系の団体が組織した復興農業奉仕団に参加した。

   彼は帰国後、奉仕団の有志と「ヘルプ・バングラデシュ・コミティ」を結成したあと、組織を離れて週刊誌記者になった。一方で、カミサンが一人でシャプラのいわき連絡会を立ち上げた。

   2011年3月27日午前、震災・原発事故で騒然とする中、わが家にシャプラの副代表、事務局長、国内活動グループチーフ(いずれも当時)の3人がやって来た。震災後、初めて連絡が取れた。野菜の差し入れがありがたかった。

   シャプラがいわきで支援活動を展開しているのは、創設時のいわきの人間の遺伝子が生きているため、と私は勝手に解釈している。だからこそ、今度のネパール大地震でのシャプラの救援活動を応援しないわけにはいかない、とも考えている。

   いわきへやって来た副代表氏は、今回、たまたまバングラデシュで事業評価中に大地震の報に接した。すぐさまインド経由でネパールへ向かい、緊急救援活動を続けた。前事務局長氏もネパールへ飛んだ。なによりもネパールにはシャプラの現地事務所がある。情報がリアルタイムで入ってくる。スピード感はピカイチではなかったか。

   シャプラは国際NGOとしての実績と信頼がある。マスメディアにも登場する。とはいえ、大々的に広報活動を展開するような団体ではない。資金も潤沢とは言い難い。できるだけ多くいわきからシャプラにネパール救援の活動資金を――という一点だけで、しばらく勝手にPR役を続ける。

(タカじい)



タカじい
「出身は阿武隈高地、入身はいわき市」と思い定めているジャーナリスト。 ケツメイシの「ドライブ」と焼酎の「田苑」を愛し、江戸時代後期の俳諧研究と地ネギ(三春ネギ)のルーツ調べが趣味の団塊男です。週末には夏井川渓谷で家庭菜園と山菜・キノコ採りを楽しんでいます。
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