島根県の竹島(韓国名・独島)やいわゆる従軍慰安婦の問題以外に、さらに日韓の歴史問題が増えることになりそうだ。文化庁がウェブサイトで朝鮮半島由来の文化財の一部について「任那(みまな)時代」と表記したり、中学校の検定教科書に「任那日本府」が記載されたりしたことについて韓国内では「歴史の歪曲」だという声があがっている。
韓国からは過去にも同様の批判はあったが、今回は李完九(イ・ワング)首相まで「歪曲」批判を口にする事態に発展している。
中国が好太王碑の改ざん否定し、任那存在説が「復活」
「任那」という表現は日本書紀にも登場し、4~6世紀に倭(大和朝廷)が朝鮮半島の南部で勢力を持っていた地域を指すと考えられている。その根拠のひとつだとされているのが、中国・吉林省にある好太王碑(広開土王碑)だ。その碑文には、倭が朝鮮半島に渡って、新羅や百済を臣民としたことが記されていると解釈されている。
この碑文をめぐっては、1970年代に「旧日本軍に改ざんされた」という説が唱えられ、「任那」存在説が後退するきっかけになったが、06年に中国社会科学院が改ざんはなかったという調査結果を発表。
これにともなって、任那存在説が「復活」した形だ。なお、一部の中学教科書にも記載がある「任那日本府」は、倭が任那に設置した出先統治機関の名称を指す。
15年4月に文科省が教科書の検定結果を発表し、「任那日本府」が引き続き掲載されたことで、韓国メディアがいっせいに批判を強めた。
「任那」は日本による植民地支配を連想させる
韓国側が反発する背景には、「任那」という言葉が日本による植民地支配を連想させることがある。例えば中央日報は、
「植民統治を正当化するための植民史観で、歴史的な根拠は弱く、現在、日本国内の学界でも受け入れられていない」
などと主張。前出の経緯からすると、「日本国内の学界でも受け入れられていない」という主張は必ずしも正しくはない。
東亜日報は、オピニオン面で、
「伽?(編注:金官伽?=任那)に倭が一定の勢力を形成していたことを否定することは難しい」
としながらも、その性格や存在した期間には異論があることを指摘し、
「『任那』とは、古代日本が韓半島の南部、特に現在の晋州を呼んだ名称だが、韓国では植民史観の象徴と記憶されていることを日本は知らなければならない」
などと訴えた。
こういった世論を背景に、李完九(イ・ワング)首相は4月9日、韓国メディアに対して、
「事実に基づかず、歴史を歪曲してはならない」
などと主張。外交部の魯光鎰(ノ・グァンイル)報道官も同日の会見で、11年の検定結果に引き続いて、「任那日本説」が盛り込まれたことに対して遺憾の意を示し、記述の修正を求める考えを示した。