東日本大震災から4年が経過し、記憶の風化を懸念する声が出ている半面、被災地の若者が率先して復興の輪を広げる試みも芽吹いてきた。
地元・東北だけでなく全国各地で、それぞれのスタイルで東北を応援している若者たちを結び付け、大きなうねりにしようと学生が動き出している。
語り部の経験積み重ね「南三陸町が好きになりました」
日中は春の陽気だった2015年3月21日、仙台市である学生の交流会が開かれた。地元だけでなく関東や関西からの参加者を含め、高校生や大学生およそ50人。つながりのキーワードは「東北」だ。
主催したのは「Action is a message project」(以下、AIM)という学生団体。岩手、宮城、福島出身者がメンバーに名を連ねる。震災体験を伝える「語り部」活動と並行して、東北と縁があって各地でユニークな取り組みをしている人や団体の「取材」を続けている。AIM代表で、現在大学1年生の田畑祐梨さんは宮城県南三陸町出身。高校2年の終わりごろから語り部を始めた。依頼があれば全国に飛び、自らの体験や思いを話す。
震災後、思うように復興が進まない故郷を見て「大人は何をやっているんだ」と反発心が起きた。だが「じゃあ、自分は何をしてきたんだろう」と疑問を感じ、話し好きな性格を生かした語り部を思いついたという。地元を訪れる人たちに自分の身の周りで起きたことを話すと、真剣に耳を傾けてくれる。応援してくれる大人だって多いと気づいた。語り部の経験を積み重ねるうちに、「南三陸町が好きになりました」と田畑さんは話す。
大学進学で、地元を離れることになった。「でも私が、東北支援をやめるのは無理だと思いました」。そこで、東北のメンバーは地元の、自分のように別の地域に住むメンバーはその場所で、それぞれ東北のために活動する若者を探して話を聞き、人的ネットワークを構築する団体をつくってはどうだろうと考えた。これが、AIMの誕生につながった。
団体のウェブサイトには、取材の成果が掲載されている。岩手県宮古市でアクセサリー制作を手掛ける商業高校生、「10代による東北支援団体」代表を務める関東地方の高校生、震災体験や東北の現状を関西で伝えようと、京都の中学校で講演会を企画する大学生と、顔ぶれは多彩だ。田畑さんが直接話を聞いた人もいる。「同世代だからこそ打ち明けられる悩みもあります。共感できることは多いですね」。
ワークショップで避難所での経験を共有
田畑さんに誘われて2014年11月、AIMに加わったのが仙台市内の大学に通う藤岡由伊さんだ。福島県南相馬市出身で、高校時代に参加した環境プロジェクトで南三陸町を訪れた際、田畑さんの語り部に触れた。その後、お互いに「地元愛」を語るうちに意気投合したという。フェイスブックでつながり、交流を続けてきた。
震災と東京電力福島第1原発の事故で、藤岡さんは家族と一緒に福島市の避難所などで約1か月、故郷を離れての暮らしを余儀なくされた。そこで今回のAIMの「交流会」ではワークショップの企画として、自身の経験を踏まえて避難所の重要性について考えてもらうテーマを設定した。
「冒頭、詳しい説明の前に『避難生活で何が大事だと思いますか』と質問してみたのです」
避難所経験のない参加者もいたが、水や食料の確保、衛生状態の維持といろいろな意見が出た。それぞれ重要なのは間違いないが、藤岡さんは自身の体験から「これは大切だ」と感じたことがあったという。
ひとつは、常に防災意識を高めておく姿勢だ。日本全国どこでも地震は起きる。「もしもの事態で自分は何ができるか、備えておく必要があると思うのです」。もうひとつ、実際に避難所で実感したのがコミュニケーションの重要性だ。まだ寒い時期、インフルエンザが流行した。だが「お隣さん」が誰でどこから来たかも分からない。お互いに会話を交わす仲なら、健康状態の話もしただろう。ちょっとしたやり取りで防げる「災難」もあるわけだ。
AIM自体、生まれてからの年月は長くない。だが、全国に散らばる仲間との絆は強まってきた。田畑さんは、来年までに5万人に「語り部」をしたいと目標を立てる一方、さらに多くの仲間と連携できれば、次に会合を開くときには何か「提言」ができるのではないかと青写真を描く。藤岡さんは「同世代の思いをもっと聞きに行きたい」と意気込む。
「若者パワー」による東北復興は、確実に進んでいる。(おわり)