AKB48をはじめアイドルユニット全盛の今日、少しユニークなガールズグループが宮城県気仙沼市を中心に活動している。その名も「SCK GIRLS」だ。
歌とダンスで見る人を楽しませるだけではない。ステージでは、メンバーが東日本大震災での経験を話し、「被災地の今」を伝える使命を持っている。
ステージ上のトークで「震災の日って、覚えてる?」
東京・JR御徒町駅前で2015年3月15日に開かれた「上野発!!東北応援キャンペーン」のイベントに出演したSCK GIRLS。曲の合間にマイクを握ったリーダーのまりかさんは、こう話し始めた。
「つい先日、3月11日に震災から4年を迎えました。メンバーのみんな、あの震災の日って、覚えてる?」
アイドルのトークとしては異色かもしれない。だが質問されたメンバーは、「学校の授業の後、公民館で大勢の人と一緒に過ごしました」「小高い丘に避難したら近くの川を津波が逆流してくるのが見えて、大きな(石油)タンクに火がついていてとても怖かった」と次々に口にする。彼女たちは被災者であり、「昨日のことのように震災の記憶が浮かんでくる」という。
SCK GIRLSは2011年秋に結成された。当時中学生だったまりかさんはその冬、初期メンバーだった部活動の先輩に誘われて加わった。「ボランティア活動をやってみないかと言われて、ついていったらみんな踊ってる。ゴミ拾いでもやるんだろうとジャージ姿だった私は、『あれっ?』て(笑)」。しかし人前で話すのが好きだったこともあり、運営者と話し合いの末メンバーの一員となった。
なかなか思うようにパフォーマンスの実力が伸びず、へこたれそうにもなった。それでも「あきらめたくない」と、もがきながら練習した。応援してくれるファンが支えになった――。自らの4年間の活動を笑顔でハキハキとこたえるまりかさんだが、震災や被災地の現状になると、やや心配そうな顔をした。
「震災から1、2年目は、3月11日になるとテレビはほぼ全局が特番を組むほど大勢の心に残っていたはずなのに、今年は(番組が)少なくなったと感じました」
震災が人々の記憶から風化しつつある。「自分自身が経験したからこそ、どうにかして伝えたい」という思いを、歌とダンス、トークに込めているという。
「自粛、自粛とふさぎこんでいたら、ますます苦しくなる」
メンバーは毎週、全体練習とダンスレッスンで顔を合わせる。もちろん学業最優先。勉強に部活動、SCK GIRLSと「3足のわらじ」の子も少なくない。それでも、中学生メンバーのりんさん、ともかさんの2人は「歌とダンスが大好き」と笑い、家での「自主練」を怠らない。最年少の小学5年生、かれんさんは1時間かけて練習場に通う。宿題は「親に送ってもらう車の中で済ませます」。
毎週末には地元・気仙沼や仙台を中心にイベントで笑顔をふりまく。だが、グループの4年間の道のりは平たんではなかった。結成したのは震災からおよそ半年後。娯楽に対する自粛ムードが漂う中、インターネット上には「被災地を『うり』にするなんて」との批判が書き込まれたと、SCK GIRLSの代表を務める音楽プロデューサーの佐藤健さんは明かす。
自らも津波で大きな被害を受けた佐藤さん。だが震災から間もなく気仙沼で行われたミュージシャンの「慰問ライブ」で、思わず「イェー」と拳を振り上げたときに「救われた気持ちになった」と話す。
「自粛、自粛とふさぎこんでいたら、ますます苦しくなる。今、動かないわけにはいかないと思ったのです」
4年間で見つけた、自分なりの変化とは
SCK GIRLSは4年間、一貫して「ありがとう」という気持ちと、「復興するんだ」との決意を表現し続けてきた。楽曲を手掛ける佐藤さんは、歌詞の中にこうしたメッセージを織り込んだ。曲の合間にメンバーは、自分たちで考えた感謝の言葉を直接語りかけた。粘り強く震災を伝え続けてきたことで、周りの理解は深まってきたようだ。気仙沼市から「復興メッセンジャー」の称号を贈られたのも、活動が認められてきた証だろう。「絶対に復興してやる」という意地と、自分たちの手でできることがあるという思いが、SCK GIRLSを4年間続けられた原動力となっている。
もちろん、アイドルユニットとしての成功や、個々のメンバーの成長も目標に掲げる。リーダーのまりかさんは、「以前は(運営者に)反発して、『気に入らないことはやりたくない』と言って叱られたり、人前でのトークを恥ずかしがったりしました。でも、多くの人の励ましに触れて『私がやるんだ』という使命感が芽生えたと思います」と振り返る。ステージ上では年下のメンバーをリードし、震災を風化させまいと等身大の言葉で観衆に語りかける。4年間で見つけた、自分なりの変化だ。
「ちょっと素直になりました」
まりかさんは、こう言ってはにかんだ。