「八紘一宇」の文字はGHQの指示で一度は削られた
三原氏や麻生氏は言及しなかったが、この「八紘一宇」という単語は1940年の閣議決定では大東亜共栄圏の建設とあわせて言及され、その後もたびたび大日本帝国の戦争遂行のスローガンとして用いられてきた。
麻生氏が言及した「八紘一宇の塔」は、正式には「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」といい、太平洋戦争開戦直前の1940年に完成。敗戦後の1946年に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指示で「八紘一宇」の文字が削られ(1965年に復元)、塔の名前も「平和の塔」に変更されたという経緯がある。
広辞苑の第6版を見ても、「八紘一宇」は
「世界を一つの家とすること。太平洋戦争期、日本の海外進出を正当化するために用いた標語」
と説明されており、今では戦争と切り離して考えることは難しい言葉だとも言える。
そのため、韓国では早くも発言が
「過去の日本の侵略戦争を正当化するスローガンとして使用された『八紘一宇』を礼賛するような発言をして問題になっている」(YTNテレビ)
などと否定的に報じられつつある。
菅義偉官房長官は3月17日午後の会見で、
「(三原氏の発言を委員会の現場で)最初から聞いてれば、租税回避の発言の中で引用されたと思っていたので、従来の意味合いとかニュアンスとは違う意味で使われたと思っている」
と述べ、三原氏に戦時のスローガンを擁護する意図はなかったとの見方を示した。
三原氏は同日朝にブログを更新し、国会で読み上げた『建国』の一節を掲載。「侵略のスローガン」といった指摘に対し、直接の反論はしていない。