【大震災 若者の挑戦(1)】
「暗闇の先にもきっと光がある」と言えた 震災の記憶を伝え続ける相馬高校放送局

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   未曽有の被害をもたらした東日本大震災から4年。復興は道半ばで、東京電力福島第1原発事故の影響により今も多くの人が避難生活を余儀なくされている。

   一方で、時間の経過とともに被災地が忘れられていく懸念がある。震災の記憶を伝えよう、苦しむ被災者を支えようと若い世代が震災発生時から今までずっと様々な取り組みを続けている。J-CASTニュースは、被災地で生き、活動する若者たちを追った。

鳥のさえずりと放射能測定器の警告音

「ちゃんと伝える」より(画像提供:相馬高校放送局)
「ちゃんと伝える」より(画像提供:相馬高校放送局)
「ここには私の街が、家が、生活があった」

   女性のナレーションとともに画面には、津波で甚大な被害を受けた福島県相馬市磯部地区の「今」が映し出される。そして、こう続く。「何かしなければ、いつか忘れてしまう。でも忘れてほしくない。いつまでも覚えていてほしい。だから伝えていきたい、ふるさとの今を」。

   福島県立相馬高校の部活動、「放送局」の女子部員が2014年6月に制作した8分間の映像ドキュメンタリー「ちゃんと伝える」のラストシーンだ。現在2年生のこの現役部員は、今も仮設住宅から通学している。

   放送局では2011年以降4年間、震災を扱った音声や映像作品を継続的につくっている。2011年6月につくられた、音声のみのラジオドキュメンタリーがある。題名は「緊急時避難準備不要区域より」。当時入学して2か月だった1年生女子部員が初めて手掛けた7分ほどの作品だが、メッセージ性は強烈だ。

   聞こえてくるのは、のどかな鳥のさえずりと、それを遮るように響く放射能測定器の警告音。自宅は、政府が指定した「緊急時避難準備区域」のわずかに外側だった。「緊急時避難準備区域」は、いつでも屋内退避や避難ができるように準備をしなくてはいけない。その外といっても、放射能の不安はつきまとう。生徒は祖母に話を聞く。もう野菜を作る気になれない、「ここは大丈夫」と政府に一方的に言われて避難しようがない――。

   生徒は最後にこう口にする。

「私には今を生きることしかできない。人生80年なんて考える方が間違っている。安全な場所なんてどこにもない」

   この年にもうひとつ「大作」が生まれた。6人の部員による30分超の演劇「今伝えたいこと(仮)」だ。女子高生の仲良し3人組の中で、突然1人が自らの命を絶つ。残った2人は「なぜこんなことに」と、友の死の理由を語り合う。実は彼女は津波で家を流されて家族を失い、酪農家の親戚に預けられる。だが、原発事故のせいで生活が厳しい親戚から疎まれ、毎日つらい思いをしていた。それでも本人は、2人の前でいつも明るく振る舞っていたのだ。

   話し合ううちに2人は気持ちをぶつけ合う。1人は、自分たちがこの場所で生きていくからこそ絶望してはだめだと主張するが、もう1人は「きれいごと」だと切り捨て、希望は持てないと突き放す。

   子どもの訴えを無視しないで、苦しんでいる人たちがいることを忘れないで――。悲しみや怒りの感情を爆発させた女子生徒の心の叫び声が印象的だ。

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