日本を代表する工業デザイナーの栄久庵憲司さんが洞不全症候群のため2015年2月8日、東京都内の病院で亡くなった。85歳だった。
東京都出身。原爆投下後の広島に入った際の体験がデザインの世界へ入るきっかけとなった。東京芸大在学中に、友人と現在のデザイン会社となる「GKデザイングループ」を設立。1961年にロングセラー「キッコーマンしょうゆ卓上びん」をデザインした。東京都や日本中央競馬会などのロゴマークから、成田エクスプレスなどの鉄道車両、ヤマハのオートバイまで幅広い製品のデザインを手がけた。
日本を代表する工業デザイナーの栄久庵憲司さんが洞不全症候群のため2015年2月8日、東京都内の病院で亡くなった。85歳だった。
東京都出身。原爆投下後の広島に入った際の体験がデザインの世界へ入るきっかけとなった。東京芸大在学中に、友人と現在のデザイン会社となる「GKデザイングループ」を設立。1961年にロングセラー「キッコーマンしょうゆ卓上びん」をデザインした。東京都や日本中央競馬会などのロゴマークから、成田エクスプレスなどの鉄道車両、ヤマハのオートバイまで幅広い製品のデザインを手がけた。