過激派組織「イスラム国」に殺害された湯川遥菜さんと後藤健二さんを追悼する集会が京都市内の「三条河原」で立案されたが、疑問が相次いで会場が変更されることになった。それは、三条河原を巡る歴史的経緯からだった。
追悼集会の動きは、2人が相次いで殺害されたことを受けて、2015年2月3日にネット上で始まった。
「二人の殺害方法を考えるとこの場所は残酷」
それによると、東京、大阪、京都などで8日17時から2時間ほど集会を開き、プラカードなどを手に故人を追悼するものになるという。京都では、三条大橋の上や鴨川の河川敷など「三条河原」と呼ばれる一帯で行うとツイッターなどでアナウンスされた。
主催者のことははっきりしないが、在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチに反対したり、安倍晋三政権を批判したりしてきた人たちも関わっているようだ。
ところが、三条河原は、かつて歴史上の人物が何人も晒し首にされるなどした場所だとして、ネット上で、2人の追悼集会をここですることに疑問や批判が続出した。
「なぜよりによってこの場所でやるのですか?」「二人の殺害方法を考えると、あまりにもこの場所は残酷です」「どうか場所の変更をご検討願えませんか?」
「そんな昔のことを」といった声はあったものの、主催者に関わる人たちからも場所の選定に再考を求める意見が出た。
こうした声を受けてなのか、ツイッターなどで、京都の追悼集会は場所が変更になったとアナウンスされた。今度は、市内の「四条大橋」が会場になるとされている。
ところで、「三条河原」には、どんな歴史があるのだろうか。