三陸沿岸とゆかりが深かった宮沢賢治。大槌町との接点はあったのでしょうか。大槌町の鯨山山麓に住むガ―ディナー佐々木格(いたる)さんは、鉱物の薔薇輝石(ばらきせき)に注目して賢治と大槌との関係をひも解きました。
賢治は「石っこ賢さん」と呼ばれるように、鉱物採集に熱中しました。例えば、岩手県花巻市内の北上川と猿ケ石川の合流点に賢治が名付けた「イギリス海岸」があります。賢治は花巻農学校の教員時代、生徒を連れてこの海岸で地質学の実習をし、日本で初めて太古のバタグルミの化石を発見しました。
佐々木さんは、その「石っこ賢さん」が父親あての手紙の中で、「大槌の薔薇輝石」と記していたことを知り、大槌と、薔薇輝石と、賢治との関係を調べ始めました。
賢治は上京していた1919(大正8)年2月2日、父・政次郎に手紙を出し、鉱物を材料に、装飾品を作って商売する相談を持ちかけました。その中で、対象とする鉱物について、こう書いています。「たとへば花輪の鉄石英、秋田諸鉱山の孔雀石 九戸郡の琥珀、貴蛇紋石 大槌の薔薇輝石、等」
薔薇輝石はロードナイト(rhodonite)とも言います。賢治は、詩「暁穹(ぎょうきゅう)への嫉妬」の中で、「薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、/ひかりけだかくかゞやきながら」と薔薇輝石に触れ、文語詩「敗れし少年の歌へる」では、「よきロダイトのさまなして/ひかりわなゝくかのそらに/溶け行くとしてひるがへる/きみが星こそかなしけれ」と、薔薇輝石を「ロードナイト」ではなく、「ロダイト」として詠んでいます。
佐々木さんは、こうした経過を知り、平成25(2013)年4月、大槌町内の鉱山の廃坑跡を訪ね、廃坑の周辺で、ピンク色に輝く薔薇輝石を採取しました。薔薇輝石は、大槌町教育委員会が主催し町中央公民館で開催中の「宮沢賢治展イーハトーヴォ海岸と薔薇輝石」で展示されています。
佐々木さんは「薔薇輝石が賢治さんと大槌を結んでくれた。ぜひ、大槌町にも賢治の文学の碑を建立したい」と話しています。
三陸沿岸にある賢治の碑は9基。10基目の碑が大槌に建てられるのはそう遠い日ではなさそうです。
(大槌町総合政策課・但木汎)
連載【岩手・大槌町から】
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