菅原文太さん葬儀、なぜ太宰府天満宮で? 13年前の「悲劇」以降、足繁く通っていた

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   日本映画界を牽引してきた名優、菅原文太さんが転移性肝がんによる肝不全のため2014年11月28日に亡くなった。30日には福岡県の太宰府天満宮祖霊殿で家族葬が執り行われた。

   菅原さんは宮城県仙台市の出身。98年には岐阜県へ転居し、09年には山梨県で農業を始めた。亡くなったのは東京都内の病院なのに、「なぜ福岡の太宰府で?」と不思議に思った人も少なくないようだ。しかし菅原さんにとっては10年以上前から大切な場所となっていた。

「飛行機嫌い」だから時間かかっても新幹線で

境内の祖霊殿では神道式の祭祀が執り行われる(画像は太宰府天満宮楼門)
境内の祖霊殿では神道式の祭祀が執り行われる(画像は太宰府天満宮楼門)

   祖霊殿の納骨堂には2001年に亡くなった長男、加織さんの遺骨が納められている。

   加織さんは高校在学中に俳優デビューし、テレビや映画で活躍していた。02年のNHK大河ドラマ「利家とまつ」で父と共演予定だったが、01年10月、小田急線の踏切で電車にはねられ31歳の若さで帰らぬ人となった。長男の不慮の死は菅原さんに大きな悲しみをもたらし、告別式でも報道陣に口を開くことはなかったと伝えられている。

   毎日新聞によれば、太宰府天満宮での納骨は知人の紹介を受けてのものだったそうだ。「学問の神様」菅原道真公と同じ「菅原」であることが決め手になったかは分からないが、東映広報室によると菅原さんはもともと神道だったといいう。

   年齢的な体力の衰えだけでなく、74歳で膀胱がんを患うなど病気とも闘ってきた菅原さんだが、墓参りは欠かさなかった。親交の深かった「夜回り先生」こと水谷修さんは12月2日放送の「ワイド!スクランブル」(テレビ朝日系)の中でこう話した。

「ほんとに頻繁な時には年に数回(足を運んでいた)。文太のおじさんはとにかく飛行機が嫌いなんです。ですから必ず行きは新幹線で行くんですけど、『5~6時間(も乗るのは)きつい』と。必ず京都で一泊お泊りになって奥様とおいしい食事を食べ、(太宰府に)行かれ、また帰りに京都で一泊して戻ってこられてました」
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