ブラザー工業の業績が大きく改善している。2014年11月4日に2015年3月期の業績予想を上方修正し、純利益は従来予想より20億円増の510億円と前期比2.7倍に拡大し、8年ぶりに過去最高を更新する見通しだ。
けん引するのは工作機械部門。ミシンを祖業に100年以上の歴史を持つブラザー工業が、華麗なる変身をとげている。
草創期の兄弟を社名に
ブラザー工業の創業は1908年、無類の機械好きだった安井兼吉氏が、「安井ミシン商会」としてミシン修理・販売業を名古屋の自宅で始めたことに遡る。その後、長男の正義氏ら息子たちが継承し、1925年に「安井ミシン兄弟商会」を設立した。その頃のミシンは米国の「シンガー」が世界を席巻し、日本国産はほとんどなかったという。そこで正義氏らは国産ミシンを製造しよう、との目標を掲げた。その後、社是ともなる「輸入産業を輸出産業にする」の精神だ。
まずは取り扱いが多く構造を知り抜いた麦わら帽子製造用ミシンの開発、発売に漕ぎ着けた。これは昭和3年(1928年)に発売されたため「昭三式ミシン」と命名され、安井兄弟が協力した成果という意味を込めてブランド名を「ブラザー」とした。これが現社名の由来だ。これをステップに1932年には家庭用ミシンの量産化にも成功。ブラザーのミシンは徐々にシンガーのシェアを奪う躍進ぶりを見せた。
この祖業の家庭用ミシンは、21世紀の今も世界で圧倒的なブランド力を誇るが、2014年3月期の連結売上高に占める割合は7%程度にとどまる。これには戦後の積極的で失敗を恐れない多角経営が影響している。
戦後の成長の足がかりは欧米に輸出した家庭用ミシンだった。このミシンで得たブランドへの信頼を足がかりに、多角化を進め、洗濯機や扇風機といった家電市場に参入。オートバイや楽器なども手がけた。
「財テク」には走らず製品開発
こうした多角化のうち、後の成長の柱となるプリンターを中心とする情報通信機器事業の萌芽となったのが、1960年代に開発したタイプライターだ。1984年のロサンゼルス五輪では、公式サプライヤーとしてタイプライターを提供するにいたる。
一方で、次世代を見据えた開発も進め、1971年には高速ドットプリンターを発売。1985年には電子タイプライターの生産を始めた。さらに、1980年代後半にはファクスやレーザープリンターも手がけ、今にいたる情報通信機器事業の土台を築いた。
多角化といっても失敗し撤退した事業もあるが、バブル期の他の日本企業との大きな違いは、不動産や株に投資する「財テク」にあまり興味を持たず、堅実に一歩先をゆく製品開発を進めたことにあった。そのため、日本経済がバブル崩壊に見舞われた後の1990年代も、パソコン活用が進む米国のスモールオフィス向けにファクスやプリンターを兼ねた「複合機」を大量に販売できたのだ。同じ1990年代に日本で初めて通信カラオケ事業も展開、カラオケ事業は現在も着実な利益を生んでいる。
もう一つ、ブラザー工業の「今」をけん引するのは情報通信機器に加えて、工作機械(産業機器)だ。スマートフォンの金属ボディーを削る「タッピングセンター」と呼ばれる機械など、地味だが旺盛な需要のある分野。スマホ部品を米アップルなどに納品する新興国企業の引き合いが強く、2014年9月中間連結決算で産業機器部門の売上高は前年同期比93%増とほぼ倍増し、過去最高益の業績予想を生む原動力になった。失敗を恐れずに新事業を展開するブラザー工業に学ぶ点は多い。