ノーベル物理学賞の中村修二氏(60)が、発明の対価を巡る訴訟で戦った日亜化学工業(徳島県)の社長に面会を求めたところ、「感謝で十分」だとして拒否された。中村氏は「非常に残念」と語ったが、ネット上では、それはそうだろうとの声が相次いでいる。
米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授は、青色LEDの開発でノーベル賞を受賞し世界に向けて会見したとき、研究の原動力として「怒り」を真っ先に挙げていた。
文化勲章受章後の会見では、一転して感謝を口に
それは、日本の会社で冷遇されて報奨金を2万円しかもらえず、渡米後は企業秘密を漏えいしたと会社に訴えられるなどしたことがあるとした。発明の対価を巡る訴訟では、8億円余の支払いで和解したものの、「日本から出て行け」と言われていると感じたという。
ところが、文化勲章を受けた2014年11月3日には、日亜化学工業のおかげで受賞につながったと一転して感謝を口にし、日本のマスコミに向けた会見では、「過去のことは忘れましょう」と関係改善したい考えを示した。大学と共同研究などをしたいという。「互いに誤解があった。本音で話せば仲直りできる」とし、社長との面会も求めた。理由としては、「人生短いから、ケンカしたまま死にたくない」と述べた。
ただ、中村氏から謝罪をするのかと聞かれると、「それはないですよ。だって、悪いことは一切していないわけですから」と否定した。
これに対し、日亜化学は4日、マスコミ向けにコメントを出した。そこでは、中村氏が会社や歴代社長に示した感謝で十分だとして、「貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、今回の賞・章に恥じないよう専心、研究に打ち込まれ、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようお祈りしております」としている。皮肉とも受け取れる内容だ。共同研究については、「何かをお願いするような考えは持っておりません」と否定した。
これが報じられると、ネット上では、会社に同情的な声が次々に上がった。
日亜化学は、若手研究者の力と訴えていた
中村修二氏が会社の悪口とも受け取られる発言をしていたことから、「そりゃそうだろな」「はらわた煮えくり返っているんじゃないのか?」「今さら、仲良くしようとか言われてもねえ」といった感想が出たのだ。社長が面会するなどしたら、中村氏のパフォーマンスに利用されてしまうとの指摘もあった。
また、日亜化学が丁重にお断りしたことについては、「大人の対応だなぁ」「素晴らしい」との賞賛の声まで上がった。
一方で、日亜化学に対する批判もあり、「度量の狭い社長だな」「大人気ない」「慇懃無礼」といった声も漏れていた。
ところで、日亜化学が関係改善を断ったとしたら、中村氏が受賞会見で悪口を言っただけが理由なのだろうか。
日亜化学の社長は、「日経ものづくり」2004年4月号のインタビュー記事で、中村氏について苦言を呈していた。確かに、青色LED開発を提唱したのは中村氏だと認めながらも、製品化できたのは若手研究者たちの力だったと訴えた。中村氏に開発を止めるように命じたことはなく、むしろ研究費を増やしており、中村氏の退職時には2000万円弱もの給与を支払っていたと言っている。
これに対し、中村氏は、記事の中で、イチロー選手が球団で巨額の報酬をもらっても批判する人はいないとし、会社にいても個人の力で開発できたときは、会社も潤うのだから、それなりの待遇があるべきだとの主張を展開していた。
両者には、考え方の溝は深く、たとえ共同研究をしたとしてもうまくいかない可能性がありそうだ。
日亜化学の総務部に取材すると、中村氏が面会などを求めたことに対し、会社としてお断りしたことを認めた。その理由については、「会社のコメントのみで対応しており、それで理解していただいています」とだけ答えた。