前衛芸術家の赤瀬川原平氏さん死去 「老人力」「トマソン」

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   前衛芸術家で芥川賞作家の赤瀬川原平(本名・克彦)さんが2014年10月26日、敗血症のため東京都内の病院で死去した。77歳だった。

   神奈川県横浜市出身の赤瀬川さんは武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を中退後、1960年代から前衛芸術家として活動した。63年には高松次郎氏、中西夏之氏とともに前衛芸術集団「ハイレッド・センター」を結成。身の回りのものを包装紙で包む「梱包作品」や、白衣姿で銀座の通りを掃除するなどの「ハプニング」(パフォーマンス)を行った。

   63年に千円札を表面だけを印刷して個展の案内状に利用したことが、後に「通貨及証券模造取締法違反」として問われることに。70年に最高裁で執行猶予付きの有罪が確定した。公判には著名な芸術評論家たちが特別弁護人として参加するなど、芸術と法をめぐる「千円札裁判」として大きな注目を集めた。

   小説家や漫画家などの顔も持ち、81年には尾辻克彦の名前で発表した短編小説「父が消えた」で芥川賞を受賞した。老化を肯定的にとらえた98年のエッセー「老人力」はベストセラーになり、当時の流行語大賞にもなった。

   他にも街中で偶然見つけた「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」を「トマソン」と命名。南伸坊さんらとともに結成した「路上観察学会」の活動を通じ、路上観察の楽しさを追い求めた。

   共同通信によると、2011年に胃がんが見つかり全摘手術を受けた。その後も脳出血や肺炎で入院し、最近は自宅で療養していたという。

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