小渕優子経済産業相は政治団体が後援会関係者向けに開いた観劇会の収支が大きく食い違っていた点が致命傷になって大臣辞任に追い込まれた。だが、小渕氏が追及を受けている問題は、政治資金でベビー用品やストール、著名デザイナーズブランド、地元特産の「下仁田ネギ」など多岐にわたる。
下仁田ネギは高級品と知られ、贈答品としても重宝されている。他の群馬出身の政治家も、数十年前から大量に配っていたようだ。
「殿様ネギ」「献上ネギ」とも呼ばれる高級品
下仁田ネギは、江戸時代に旗本から「ネギ200本至急送れ、運送代はいくらかかってもよい」などと注文があったことから、「殿様ネギ」「献上ネギ」とも呼ばれる高級品だ。
今回の問題では、小渕氏の資金管理団体「未来産業研究会」の収支報告書で、自らの選挙区(衆院群馬5区)にある中之条町の農家に対して10年に59万4380円、11年には58万5635円支出したことが明らかになっている。これが政治資金の使い方としては不適切だとの指摘を受けている。
一連の問題の発端になった週刊新潮10月23日号の記事では、小渕氏の資金管理団体から注文を受けた農家の主人が
「うちのネギは、贈答用は1本100円の立派なものを20本、緑色の箱に詰めて『3000円のパック』にして北海道から九州まで送っています」
と話している。この「パック」には、箱代や宅配便代も含まれているという。
主人の話からすると、小渕氏は毎年200人にネギを発送していた計算だ。
小渕氏は観劇会については陳謝したものの、ネギについては正当性を主張している。
10月17日の衆院経済産業委員会では、送り先は「東京が中心」だとして選挙区内の有権者には送っていないと説明。10月20日朝の辞任会見でも、
「政治活動でお付き合いのある、県外の方への贈答であり、なおかつ、地元の名産を紹介することは、地元群馬の振興にもつながるものと思っていた」
と話した。
群馬県では、過去にも大臣経験者が知人に下仁田ネギを継続的に贈っていたケースがある。小渕氏は、この先例を根拠に自らについても「問題なし」と認識している可能性がある。
「中曽根さんのお歳暮はありがたく、これで三が日を祝う年が数年間続いた」
この「大臣経験者」とは、中曽根康弘元首相のことだ。中選挙区制の旧群馬3区では、中曽根氏以外に福田赳夫・康夫元首相親子、小渕氏の父親の小渕恵三元首相が議席を争い「上州戦争」を展開したことが知られている。少なくとも2人が、中曽根氏から下仁田ネギを贈られたことを自らの著作で明らかにしている。
1人目が、「小説サラリーマン目白三平」シリーズで知られる作家の中村武志氏(故人)。中村氏は「サンデー毎日」1984年12月23日号で、少なくとも6年間にわたってネギを受け取ったことを明かしている。同誌によると、作家やジャーナリストで宴会をする集まり「目白会」に中曽根氏が1961年に参加したことがきっかけのようだ。
「その年の暮れだったと思う。中曽根さんから、お歳暮が届くようになった」
「中曽根さんのお歳暮はありがたく、これで三が日を祝う年が数年間続いた。毎年あてにして、ネギだけは女房も買わないことにしていた。昭和42年(編注:1967年)の大みそかだった。まだ『中曽根ネギ』は届かないと女房が困惑した。私はすぐ電話で催促した。こちらで頼みもしないのに、毎年、勝手に送りつけ、元日の雑煮に使わせておいて、中曽根家が潰れたならばまだしも、つい先月、運輸大臣になったばかりではないか」
中村氏からすればユーモアをまじえて連絡したつもりのようだが、中曽根氏側はそうは受け止めなかったのか、翌年以降「中曽根ネギ」が届けられることはなかったという。
「若い人が、下仁田ネギの大束をしょって駆けつけ、『奥さまがよろしくと申しておりました』といった。それ以来、うまい中曽根ネギのお歳暮は絶えて現在にいたっている」
政府税調メンバーには現役首相時代にも贈っていた
中村氏以外には、「中曽根ネギ」は引き続き贈られたようだ。石弘光・一橋大名誉教授は、近著「国家と財政 ある経済学者の回想」(東洋経済新報社)の中で、自らが政府税制調査会の一員として1985~87年のいわゆる「中曽根税制改革」に関わったことに触れるなかで、
「私自身、このような歴史的な動きに時の首相と議論できたことは非常に幸せであった。中曽根首相は、年の暮れに世話になった人に群馬名産の下仁田ネギを贈るのが恒例と聞いていたが、わが家にそのお歳暮が送られてきた。すき焼きの材料として美味しくいただいたのを思い出す」
と回想している。中村氏にネギが贈られなくなって20年も後の出来事だ。中村氏に対しては運輸相就任後にネギを贈るのをやめたのに対して、石氏には現役首相時代にも贈っていたことになる。
小渕氏も「お世話になった人」に配っていた可能性が強い。