「中曽根さんのお歳暮はありがたく、これで三が日を祝う年が数年間続いた」
この「大臣経験者」とは、中曽根康弘元首相のことだ。中選挙区制の旧群馬3区では、中曽根氏以外に福田赳夫・康夫元首相親子、小渕氏の父親の小渕恵三元首相が議席を争い「上州戦争」を展開したことが知られている。少なくとも2人が、中曽根氏から下仁田ネギを贈られたことを自らの著作で明らかにしている。
1人目が、「小説サラリーマン目白三平」シリーズで知られる作家の中村武志氏(故人)。中村氏は「サンデー毎日」1984年12月23日号で、少なくとも6年間にわたってネギを受け取ったことを明かしている。同誌によると、作家やジャーナリストで宴会をする集まり「目白会」に中曽根氏が1961年に参加したことがきっかけのようだ。
「その年の暮れだったと思う。中曽根さんから、お歳暮が届くようになった」
「中曽根さんのお歳暮はありがたく、これで三が日を祝う年が数年間続いた。毎年あてにして、ネギだけは女房も買わないことにしていた。昭和42年(編注:1967年)の大みそかだった。まだ『中曽根ネギ』は届かないと女房が困惑した。私はすぐ電話で催促した。こちらで頼みもしないのに、毎年、勝手に送りつけ、元日の雑煮に使わせておいて、中曽根家が潰れたならばまだしも、つい先月、運輸大臣になったばかりではないか」
中村氏からすればユーモアをまじえて連絡したつもりのようだが、中曽根氏側はそうは受け止めなかったのか、翌年以降「中曽根ネギ」が届けられることはなかったという。
「若い人が、下仁田ネギの大束をしょって駆けつけ、『奥さまがよろしくと申しておりました』といった。それ以来、うまい中曽根ネギのお歳暮は絶えて現在にいたっている」