4年ぶりの吉里吉里運動会【岩手・大槌町から】(65)

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綱引きは3回戦形式で争われました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
綱引きは3回戦形式で争われました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭

   大槌町は明治22(1889)年に当時の小鎚、大槌、吉里吉里(きりきり)の3村が合併してできました。その後、昭和30(1955)年に金沢村と合併し、三陸海岸から北上山系に至る、東西に長い、ナスのような形をしたいまの町の姿になりました。


   それぞれの旧村の地域は独立心が強く、特に大槌町の北方に位置する吉里吉里地区は、独立独歩、団結心が強いことで知られています。東北の一寒村が独立宣言して「吉里吉里国」という国家が誕生する、井上ひさしの小説「吉里吉里人」で全国的に有名になり、昭和57(1982)年には、観光客の誘致をめざして、吉里吉里国の独立記念式典が催されました。


   吉里吉里地区では、昭和40年代から秋に運動会を開き、住民が親睦を深め合ってきました。吉里吉里は1丁目から4丁目まであります。それぞれの町内会が赤、白、青、黄の4組に分かれ、その対抗戦として開かれてきました。しかし、震災後、運動会を開ける状況ではありませんでした。震災で吉里吉里地区では97人が犠牲になり、全世帯の5割を超える350世帯が被災したからです。


   震災から3年半を経過して復興の動きが本格化し始め、運動会復活の機運が高まってきました。吉里吉里公民館館長の芳賀博典さんらが中心になって準備を進め、運動会が10月5日、吉里吉里小学校の校庭で4年ぶりに開かれました。

   子どもたちからお年寄りまで、約200人の住民が参加。吉里吉里1、2丁目は赤組、3、4丁目は白組に分かれ、リレー、綱引き、パン食い競争、玉入れなどの種目に汗を流しました。


パン食い競争は4人ずつで競い合いました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
パン食い競争は4人ずつで競い合いました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
玉入れは、お年寄りと小学生が参加しました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
玉入れは、お年寄りと小学生が参加しました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
運動会は全員による踊りで締めくくられました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
運動会は全員による踊りで締めくくられました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
踊りにはひょっとこの面をつけた男性が飛び入りしました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
踊りにはひょっとこの面をつけた男性が飛び入りしました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭

   大会会長の芳賀衛さんは開会式で、「震災から3年間休んだが、復興が進み、再開できてうれしい」とあいさつしました。また、来賓として出席した碇川豊町長は「吉里吉里地区の住民の方々がまとまって復興に取り組んでいることに敬意を表したい。運動会では一層、親睦を深めてほしい」と祝辞を述べました。


大漁旗がグラウンドを取り囲みました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭
大漁旗がグラウンドを取り囲みました=2014年10月5日、大槌町の吉里吉里小学校校庭

   「半世紀ほどの歴史がある運動会。吉里吉里の秋の風物詩を再開でき、こんなにうれしいことはない」。芳賀博典さんは、涙を流しながらこう語りました。運動会の後、懇親会もあり、復興に向けて地域の人たちの心を一つにする場になりました。

(大槌町総合政策課・但木汎)


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