日亜「社として一丸となってやっていた」
両者のわだかまりは訴訟終結から約10年たった現在でも払拭できていないようだ。
ノーベル賞受賞が決まった2014年10月7日の会見で、中村氏は研究持続の原動力について聞かれると「怒りだ」と答え、日亜との対立を改めて説明した。
一方の日亜は7日、中村氏の受賞に際して次のコメントを発表した。
「日本人がノーベル賞を受賞したことは大変喜ばしいことです。とりわけ受賞理由が、中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは、光関連技術の日亜化学にとっても誇らしいことです。今後とも関係者各位のご活躍をお祈り申し上げます」
報道の中には「独力で大量生産技術を開発」と孤軍奮闘ぶりを強調しているものもあるが、日亜のコメントは、中村氏の受賞は個人の力だけでなく、当時中村氏が在籍していた日亜全体の貢献によるものだと強調しているように受け取れる。
和解成立時に発表された社長のコメントに「特に青色LED発明が一人でなく、多くの人々の努力・工夫の賜物である事をご理解いただけた点は、大きな成果と考えます」という一文があったが、これと通じるものがある。
このコメントの真意についてJ-CASTニュースが日亜に尋ねてみると、広報担当者は「中村氏が進めていた青色LEDの開発には多くの社員が携わり、また貢献していた」と話した。具体的な貢献については
「青色LEDの製品は中村氏個人の開発技術だけでなく、さまざまな要素や技術が組み合わさってできている。分担していたので、共同開発したものや、中村氏が直接関わっていないものもある。社として一丸となってやっていたものなので、こうした表現になった。必要な研究機材の投資を社が行ったという側面もある」(広報担当者)
と説明した。