青色発光ダイオード(LED)の開発者、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)のノーベル物理学賞受賞を受け、かつての勤務先である日亜化学工業(徳島県)がコメントを発表した。
発明対価をめぐる訴訟にも発展した「古巣」からのお祝いメッセージは、「大変喜ばしい」とする一方で、開発における社全体の貢献を強調するものだった。
和解後も両者不満「対価は過大」「日本の司法は腐ってる」
中村氏は1979年に日亜化学工業に技術者として入社した。半導体の開発に10年間携わった後、辞職を覚悟で当時の社長だった小川信雄氏(故人)に青色LEDの開発を直談判し、開発費の支出と米国留学の許可を取り付けた。「窒化ガリウム」という素材に注目して、青色LEDの製造装置に関する技術開発に成功。実用化につなげた。
日亜は1993年に世界で初めて青色LEDの製品化を発表、業績を伸ばすこととなったが、当時中村氏が受け取った報奨金はわずか2万円だった。1999年に日亜を退社し、2年後の2001年に職務発明の対価をめぐって訴訟を起こした。1審では日亜側に200億円の支払いが命じられたが、2005年に高裁判決で和解し、中村氏には約8億円が支払われた。この裁判は発明対価訴訟の象徴的なものとなった。
ただ、和解という形にはなったものの両者とも本当の意味では納得していなかったようだ。日亜は「相当対価は過大なもの」との立場で、支払いを決めた理由については、
「今後、中村氏との間で起こるであろう紛争が一気に解決され、それに要する役員・従業員の労力を当社の本来的業務に注ぐことができる点や、将来の訴訟費用を負担しなくて済む点を考慮した」
と説明していた。
一方の中村氏も和解成立後の会見で「日本の司法制度は腐っている」とぶちまけていた。研究に専念するためもあり、弁護士と相談して和解を決めたそうで、裁判自体は「完全な負け」だと不満をあらわにしていた。