イオンが、連結子会社のダイエーを完全子会社化する。業績不振から脱却できないダイエーを再建、成長させるためには、イオン本体との一体的な改革を迅速に進める必要があると判断した。
ダイエーという会社は残すが、店舗名は2018年度をメドになくす。かつて日本の小売業の頂点を極めた「ダイエー」が姿を消すことになる。スーパー業界、とりわけ総合スーパーの厳しい経営環境を象徴する出来事といえそうだ。
業績の回復が遅々として進まない
イオンは2007年、ダイエーの第2位株主となり、筆頭株主だった丸紅とともに再建に取り組んできた。だが小売り経験が少ない丸紅主導ということもあって赤字体質から脱却できなかった。2013年には丸紅出身者に替わり、イオン出身者が社長に就任。ダイエー株の公開買い付けを実施して、イオンはダイエーを連結子会社化した。2014年2月末現在、イオンはダイエー株の44.15%を握る。
当初はダイエーの上場を維持したまま再建を目指す考えだったようだが、店舗改装など改革のスピードは遅く、業績の回復は遅々として進まない。上場を維持して株主の顔色をうかがいながら改革を進めるよりも、完全子会社化した方が改革のスピードが増すと判断し、今年5月、ダイエーに株式交換を申し入れた。ダイエーの臨時株主総会を経て、ダイエー株は12月26日に上場廃止となる予定。来年1月に完全子会社となる。
スーパー事業ということではイオン本体も業績が伸び悩んでおり、ダイエー再建はイオン自身の生き残りに不可欠の道でもある。その意味で、まさに一体となって改革を進める必要があるということだ。具体的には、北海道や九州のダイエー店舗は、それぞれの地域で展開しているイオングループの子会社が運営を担う。店舗が集中する首都圏や関西については、イオンの中小型スーパーを集約し、「イオンフードスタイルストア」などに店舗名を切り替えていく。3年間で300億円規模の投資をして店舗改装を進め、「若い人も高齢者も支持してくれる店舗フォーマットに替える」(イオンの岡田元也社長)方針だ。
グループ全体の屋号を整理
ダイエーは1957年、故・中内功氏が大阪市で開店した「主婦の店・ダイエー薬局」が始まり。中内氏の「安売り路線」は絶大な支持を集め、1972年には三越を抜き、小売業売上高1位に上り詰めた。1980年には業界で初めて売上高1兆円を突破し、長く業界の王者として君臨したが、1990年代からはバブル崩壊に多角化の失敗も重なるなどして業績は急速に悪化。2004年には産業再生機構の支援を仰いだ。
ダイエーが坂道を転げ落ちる間に、急速に台頭してきたのが、衣料品のユニクロや、ドラッグストアのマツモトキヨシなどの専門店勢。弁当、総菜を豊富に取りそろえるコンビニエンスストアの出店攻勢もとまらず、「何でも扱う」総合スーパーが苦戦する構図が生まれた。
2014年9月24日の発表会見で、岡田社長は「これからの最大の戦いはEコマース(電子商取引)。ブランディングが重要で、(同じグループで)ブランドが分かれているのは決定的に不利。イオングループ全体の屋号を整理する段階にある」との認識を強調。イオンはこれまで「ヤオハン」やマイカルの「サティ」を吸収してきたが、いずれも店名は残っていない。消費者に浸透してきたダイエーブランドも捨て去り、生き残りをかけた本気の大改革に着手する。総合スーパーは構造的な不振から脱却できるのか、まさに存在意義が問われている。