「人は、死なない」――こう主張する東大医学部教授がネットの一部で話題になっている。その人物とは、東京大学大学院医学系研究科救急医学分野教授および医学部付属病院救急部・集中治療部部長の矢作直樹さんだ。
『人は死なない ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』(バジリコ)、『おかげさまで生きる』(幻冬舎)などの著作がある。「スピリチュアル(精神的、霊的な世界)」を思わせ、オカルトではと指摘する声もあるが、いったいどんな内容なのか。
「病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです」
「子どもの頃から人は死んだらどうなるのだろうかと考えていた私が、『見えない世界』への確信を得たのは、(...)一番身近な肉親の死からでした」――話題の本『おかげさまで生きる』の書き出しはこうだ。本の中では、医療の現場では机上の科学だけでは説明できない事象がしばしば起こることを引合いに出しながら生命にはわからないことが多いとし、その上で「見えない世界」や気、奇跡体験に触れながら「楽しく生きる」ためのヒントについて説いている。
あとがきでも「死は終わりではありません。私たちの魂は永続します。そもそも私たちの本質は肉体ではなく魂ですから、病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです」とし、近しい人を亡くしても、悔いや悲しみを抱かずあの世での反省会でもしたいという気持ちで生きているという自身の人生の捉え方も語っている。
ここまで読むと、確かに「オカルト」「スピリチュアル」といった単語が頭をよぎる。実際、矢作さんの別の著作『人は死なない』では、心肺停止からの生還をはじめ、憑依や体外離脱といった非日常的現象について「霊性」といった言葉を使いながら紹介している。とくに紙幅を割いている、亡くなった母親を霊媒師の力を借りて降霊し、会話をした話などは、かなり「オカルト」といってもよさそうな内容だ。
ただし、こうした体験を紹介する理由を矢作さんはあとがきでこう説明している。
「生命は我々が考えるほど単純ではないこと、医療でできることはごく限られていることを一般の人々に理解していただき、自分の命を人任せにせず自分自身で労わってほしいという思いをささやかながら述べてみたい」
「頭から先入観を持って否定するのではなく、そんなこともあるのかもしれないなという程度の思索のゆとり、そう考えれば日々の生活思想や社会の捉え方も変わるのでは」
まぁ、この著者は、なんて見事にぶちまけてくれているのでしょう
こうした本について、ネットでは矢作さんの役職と合わせ、
「確かにこの人が東大付属病院の『救急部・集中治療部部長』という要職についていることは問題だと思う。処遇を考えるべきだろうな」
「東大医学部教授がオカルトに嵌まるか。 典型的な死への恐怖からオカルトにすがるてパターンじゃないかな? 昔なら宗教にすがるんだが、今は宗教(既成の)に力がないからね」
と批判的に見たりする人も出ている。
一方で、「その信仰と現代医療を両立させられているなら、欧米に多いキリスト教信者の医師と同じだろ。重要なのは、信仰をトンデモにしないことで」という人もいる。矢作さんの考え方に同調する人も多いようで、Amazon.jpでの本の評価は高い。たとえば「人は死なない」については、123件のレビューが付き、星の数は3.7と低くない。東大医学部教授で医師という立場からスピリチュアルについて言及したことについて、評価するコメントもある。
「私も医師ですが、(...)より多くの医師たちが、意識して、『スピリチュアル』な領域にも触れようとするなら、『医療』はよりよいものになるだろうと、『私は』は思っています。『東大の救急部の部長』という肩書きを持つ矢作さんがこのような本を著したことが、『日本の医療』をよりよい方向に向かわせていく動きを増すことになればよい、と私は思います」
「宗教がらみではないので、多くの人が抵抗無く読める内容ではないかと思います。私は医師ではありませんが、沢山の方を看取ってきましたし、不思議な(と皆さんが言われている)体験も日常的に経験しています。その中で色々と考えることがある訳ですが、それについては誤解されることが多いので、今まではごく親しい同業者以外にはお話ししませんでした。それなのに、まぁ、この著者は、なんて見事にぶちまけてくれているのでしょう。死への恐れを持つ方や家族を失うことへの悲しみを抱えている方へ、私たちがするべき最も大切なこと(・・でもナカナカ困難なこと)は、涙ぐみながら同情の言葉をかけることではありません。死への恐怖を和らげること。死は生と続いている自然な出来事なのだと気づいてもらえること。その上で最後まで自分を失わずに穏やかな気持ちで生きてもらえるように援助すること。だと思います」