従軍慰安婦をめぐる「吉田証言」や東京電力福島第1原発をめぐる「吉田調書」の報道で朝日新聞に対する批判が相次ぐなか、歴代の社長は一連の批判から距離を置いており、週刊誌の直撃にも「ひとごと」ともとれる対応を繰り返した。
だが、記者会見で「抜本改革の道筋をつけ、速やかに進退を決断」とした木村伊量社長(60)の4代前の社長にあたる中江利忠氏(84、1989~96年在任)が週刊誌に手記を寄せ、ついに重い口を開いた。過去の朝日新聞の対応について陳謝する内容で、池上彰さんのコラムの掲載を一時見送った問題の対応では、木村社長を「ジャーナリスト失格」とまで断じた。
「元社長として、大きな責任と反省とともに、心から読者や関係者におわび」
「吉田証言」は80年代に朝日新聞で紹介された。93年には「河野談話」が出され、96年には日本に謝罪と賠償を求める内容が盛り込まれた「クマラスワミ報告」が国連人権委員会で採択された。いずれも、中江氏の社長在任中の出来事だった。
中江氏は、首都圏で2014年9月18日に発売された「週刊新潮」9月25日号に寄せた手記で、「吉田調書」と「吉田証言」をめぐる朝日新聞の報道について、
「私も元社長として、大きな責任と反省とともに、心から読者や関係者におわび申し上げます」
と陳謝した。手記の大半が、自らと関わりのある慰安婦問題に割かれた。吉田証言については、証言にあいまいな点があることや、強制連行が行われたとされる済州島での現地調査が行われていることは把握していたというが、
「誤りが少しでも分かったと時に早く訂正すべきところを、担当部門に任せたまま放置してしまいました」
と振り返った。97年に検証記事が掲載された際の経緯についても、
「『克明に調べてはっきりさせた方がいい』といった記憶はありますが、それ以上具体的に指摘しませんでした。その結果、不十分な検証のままで訂正されなかったことを、相談役として見過ごしてしまいました。深く反省しています」
と、事態を放置した自らの責任に繰り返し言及した。
池上コラム問題は「一連の問題の中で一番反省すべき」
池上さんのコラム掲載を一時的に見合わせた問題は、「一連の問題の中で一番反省すべき」だと指摘。対応の誤りを批判した。
「大変な間違いだったと思いますし、言論の代表を標榜する本社の『自殺行為』でした」
さらに、木村社長が9月11日の会見で、池上さんとのやり取りが週刊文春のウェブサイトで報じられて批判が殺到したことについて
「『言論の自由の封殺』という、思いもよらぬ批判をいただいた」
と振り返ったことについては、特に厳しく非難した。
「真意は測りかねますが、こうした発言をするようではジャーナリスト失格だと思いますし、この言葉は、この際撤回しておくべきだと考えます」
「サンゴ事件」一柳氏、「もうボケてしまっておりますので」
中江氏と木村氏の間には、松下宗之氏(1999年死去、1996年~99年在任)、箱島信一氏(76、1999年~2005年在任)、秋山耿太郎氏(69、2005年~12年在任)の3人の社長経験者がいる。存命中の2人の様子を文春、新潮がそれぞれ報じているが、中江氏とはかなり違った対応だ。
箱島氏は、週刊文春9月18日号がキャッチ。1997年の検証記事が不十分だったとの見方を示しながら、週刊誌や産経新聞といった保守系メディアに不快感を示した。
「今振り返ってみると、もうちょっと早くやっておけば良かったと思うけどね。せっかく97年に検証して、当時の幹部としては、きちんと調査すべきだったという悔いは残る。ただ残念なのは、今、『慰安婦はなかったんだ』とすり替え的なキャンペーンがあることだな」
秋山氏の動向については、週刊新潮9月11日号が
「家族が言うには、『お遍路に出て、いつ帰ってくるかわかりません』」
と報じている。さらに、中江氏の前任者で「サンゴ事件」で辞任した一柳東一郎氏(89、1984年~1989年在任)についても、週刊新潮9月11日号が
「『私はもうボケてしまっておりますので、何もわかりませんな』と、張りのある声でのたもうた」
と伝えている。