政府が東京電力福島第1原発の事故に関する政府事故調査・検証委員会の調書を公開した。事故処理の陣頭指揮をとった吉田昌郎所長による、いわゆる「吉田調書」を読むと、事故翌日に現地を訪れた菅直人首相(当時)に対する不信感が伝わってくる。
吉田氏に対して「厳しい口調」で状況説明を求める一方、現場作業者への激励はなかったそうだ。ほかにも菅氏が怒りを爆発させていた様子を証言しており、「イラ菅」ぶりに「気分悪かった」と不快感をあらわにしている。
「自由発言できる雰囲気じゃないじゃないですか」
内閣官房のウェブサイトに2014年9月11日公開された「吉田調書」は、計11本の文書ファイルがある。2011年7月~11月に断続的に実施された聴取内容を、そのまま記録したものだ。注目されたのが、原発事故が起きた翌日の2011年3月12日、当時の菅首相が現地視察を実施した際の吉田所長とのやり取りだった。
最初のヒアリングとなった2011年7月22日の記録に、早速その話題が登場する。菅氏が福島第1原発に到着して吉田氏と顔を合わせると、「かなり厳しい口調で、どういう状況になっているんだということを聞かれた」と明かす。そこで、ほとんどの電源を喪失し、制御が聞かない状態だと説明したという。
質問者が吉田氏に、「現場が厳しい状況になっているかということは、説明されているんですか」と問うと、「そこは、なかなかその雰囲気からしゃべれる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたけれども、何で大変かということですね、十分に説明できたとは思っていません」と返答し、「要するに自由発言できる雰囲気じゃないじゃないですか」と付け加えた。
菅氏はこの際、現場作業者の激励には赴いていないという。訪問の様子を「来て、座って帰られました」としか吉田氏が表現していないところから、菅氏に対して好印象だったとはとても言いがたい。
吉田氏の聴取後となる2012年2月に刊行された、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査・検証報告書にも、菅氏の現場訪問時の様子が書かれていた。池田元久経産副大臣(当時)の手記の中で、「怒鳴り声ばかり聞こえ、話の内容はそばにいてもよく分からなかった」と記述されていたという。
「一騎だけで先頭を走るタイプ」「ものすごく苛烈な性格」
公開された調書には、吉田氏以外の関係者のものもある。読み解くと、菅氏の現地視察には政権執行部ですら全面的に賛成していなかったようだ。
当時官房長官だった枝野幸男氏(2012年3月25日聴取)は、「政治的には絶対にたたかれます」と考えて菅氏本人に確認したが、それでも行くとのことだったと明かした。パフォーマンスだと言われるに決まっている、「こんなところで東京を離れること自体、どんなに結果がよくてもたたかれるのはよくわかっていました」と述懐するが、官邸に情報が入ってこないため「誰かが行くしかない」となればその通りだろうとも思ったという。「一騎だけで先頭を走っていくタイプのリーダー」である菅氏が現地を訪問し、枝野氏が官邸に残って全体を見た方が「政治的な評価という意味では絶対にマイナスだけれども、正直その方がものは回るわなと思いました」と本音を漏らした。
事故発生時は首相補佐官だった細野豪志氏(2011年12月14日聴取)は、「私は反対だった」と率直に語っている。だが「絶対にあの人は行くと思った」とも述べた。性格的に「行くと決めたら行く人」なので、本人に直接は反対しなかったそうだ。12、3年の付き合いのなかで「ものすごくあの人は苛烈な性格」と評している。現地に足を運んだことで腹を決めたと思うと話す半面、「今から考えたらものすごく大きなリスクだったですね」とも口にしている。
「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか」
菅氏は2014年9月11日付のブログで、原発事故翌日の現場視察について触れ、「吉田所長に負担をかけたかもしれない」とする一方で、「住民避難の範囲を判断する上で原発がどの程度危険な状況か知る必要があった」「東電本店から官邸に来ていた武黒氏(注:武黒一郎フェロー=当時)が分からないと言う以上、現地に行って責任者から話を聞くしかなかった」と、あくまでも正当な行為だったと強調した。
ただ、吉田氏の菅氏に対する不信が募ったのは、この訪問だけではなかったようだ。2011年7月29日実施の聴取では、菅氏が東電本店に乗り込んで政府との統合対策本部を設置した同年3月15日について触れている。本店の様子をテレビ会議で知った際、菅氏が「何か知らないですけれども、えらい怒ってらした......要するに、おまえらは何をしているんだということ」と振り返り、「気分悪かったことだけ覚えています」と述べた。菅氏が何の目的で本店に来ていたかも、「知りません」と突き放している。
極めつけは、2011年11月6日に行われた聴取だ。事故現場からの「全面撤退」が検討されたかに関するやり取りのなかで、「逃げたと言ったとか、言わないとか、菅首相が言っているんですけれども、何だ馬鹿野郎というのが基本的な私のポジション」と強く菅氏を非難している。その後も「撤退」という言葉は使っていないと何度も繰り返し否定。質問者が「ある時期は、菅さんが自分が東電が逃げるのを止めたんだみたいな」と言うと、「あのおっさんがそんなのを発言する権利があるんですか。あのおっさんだって事故調の調査対象でしょう。そんなおっさんが、辞めて、自分だけの考えをテレビで言うというのはアンフェアも限りない」。菅氏を「おっさん」と呼んでいるところに、吉田氏の激高ぶりが伝わってくる。
菅氏は前出のブログで、「吉田所長の証言と私の証言に、立場の違いはあるが本質的には食い違いはない」と書いている。だが当時、まさに命をかけて最悪の事態を回避しようとしていた吉田氏は、自分や仲間の現場スタッフにむけて「イラ菅」ぶりをさく裂させるばかりで激励の言葉ひとつかけなかった菅氏に対して、不信感を抱くのは理解できる。